青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

論理がおかしい

2008年08月16日 | 人生設計

「戦没者追悼式」が行われた。テレビではその模様が映し出され、高校野球も一時中断して、黙祷を捧げていた。
ところがチャンネルを変えると、相変わらずギャグ笑いの番組が表われ、終戦記念日など何処吹く風という有様である。放送局も出演者も、先の戦争で亡くなられた方々のことなどはどうでもよく、番組受けしてくれる方が大事という事か。
それに閣僚や国会議員などが靖国神社に参拝するという事で、何故こうも大騒ぎするのだろう。靖国神社の存在自体にも、疑問を持つ。
靖国神社は、お国のために戦い戦地や戦闘で倒れた方々の霊を祭る、いわゆる「英霊」の御霊所を言う。
では満州や朝鮮、広島や長崎の被爆者に各地の空襲被害者などの一般市民は、単なる「死に損、巻き込まれ損」なのだろうか?。



難しい考え方になるかもしれないが、靖国神社にこだわり立てようとするとこうなる。
ここのところをよく考えてみると、兵士が兵士としての働きをするためには、その支えが無い事にはならない事が判ってくるはずである。即ち「食糧支援」などの後方支援である。この後方支援を荷っていたのは、他ならない一般市民の方々である。
この方々が戦火に倒れ戦没者となられている訳だが、しかし同じようにお国のために倒れながら明確に差別されている。一方は「英霊」として靖国神社に祭られ、他方は一般戦没者と扱われている。



これが論理的におかしい。
更にややこしい話になるが、靖国神社に祭られる事になった英霊のために、一般戦没者が発生したという事もできる。それは元々為政者の「平和政策」の失敗に起因している。そのために兵士として出征する事になり、戦火が拡大し、その結果一般市民も巻き添えを食ってしまう事になっている。



そうした事もあり靖国神社とか英霊とか聞くと、戦争が終わったのを喜んでいなくて、もっと続いて欲しかったみたいな印象を受けてしまう。
もっともこんなややこしい考えをしないで、「誰もがみんな戦没者なのだ」と差別なく受け止めたいものだし、そしておかしな論理を言っていないで、この地球に生きる生命の中で、最も智慧ある生命として、この地上の真の平和を目指し努めていかなければならない。

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