青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

弁護士の中立性

2017年06月26日 | 短歌に政治や社会

筧被告側が無罪主張=青酸連続殺人―京都地裁

これまでの裁判などでの弁護士の様子を見てみると、依頼者や被疑者の利益とかを優先してすいて、損害を被らないように働いているように感じられる。
しかし「法」というものに従うならば、どちら中心にならずに、中立的に事件を見つめていかなければならないだろう。
単に依頼者の利益に拘ると、真実をゆがめることとなる。

それは犯罪起こした者にも、良いことになる。
どんなに獰猛な犯罪者であっても、その胸の奥には何がしかの良心を持つものだ。
言ってみれば良心の呵責がある。中立になってそれを引き出してあげるのも、弁護する者の役割といえよう。

家のお宗旨は浄土真宗だが、宗祖の親鸞聖人にまつわる話に、親鸞聖人を殺めようとした者に対する親鸞聖人の態度に、自分の姿の余りにも至らない凶悪さに気付き、親鸞聖人の足元に伏せて帰依していったという。

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