青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

愚かさの美学  (番外編 2)

2008年09月28日 | 人生設計

汚染米や事故米、毒物混入乳製品の流通などで、それを防止する事は「検疫所での全ての有害物質の検査は不可能」とか、「輸入業者や加工業者が自ら原料から製品、生産過程を徹底管理すべき」と言い、そうしなければ不可能という。
だがこれは、「愚かさの美学」の如き、的外れな論理といわなければならない。
私達は、食べ物は直接口にしなければならない。であるならば、その口にすべきものは、自前で生産育成成育させるべきである。ところがそれが今日、そうではなくなっている。

「金さえ出せば手に入る」という、拝金主義がまかり通っている。そこを今、私達は「突かれて」いる。
それも「拝金主義者が拝金主義者」である私たちを、突いてきている。そういう原因をなおざりにして、不可能といっても解決する事はない。

それにまた生産製品は、余るほど生産される。それがとっかえひっかえ変えかえられたりして、元のものや余った残り物は破棄され、ゴミとして処分される。それでいて自給率も無いのに「資源高騰、物価高騰」で泣きを見ているのだから、「愚かさの美学」もはなはだしい。

これはまた最近の「金融機関淘汰」にしても、「金が金を生む」という経済理論に振り回されるという、「愚かさの美学」に陥り、自前の生き方が出来ていない事にある。
「生産性と成育性」を併せ持つ「自立心、自主性、独立心」がない、それは人としての「精神性」を持たないとも言え、「哲学性」も持っていない幼稚さにある。

今の現実を見ても判るとおりに、今日の事は「他所」から発している。それを解決していくには、「自前」で生きるしかあるまい。
もう「愚かさの美学」に酔う事は、止めたがよい。

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