青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

社会の基調性

2009年08月01日 | 人生設計

私は数年前ケイレン発作を起こし、それで認知症気味になったこともあり、また車いす生活しなければならない障害者だったこともあり、ディサービスを利用している。
先日、このディサービスセンターでは、レクリエーションに「時代劇観賞」が催された。昔懐かしい「任侠もの」の時代劇である。
それを見ている内に、いつもの悪い癖が出てきた。こんなことを思い、書きたくなったのである。

昔の人ながら、そして任侠、やくざといわれる人たちでありながら、その生き方には、良きにつけ悪しきにつけ「信念を貫く」生き方があったと思える。
その「信念を貫く生き方」が、今日では薄れてしまっているように思われる。
薄れてしまっている、というよりも、「ぶれている、迷走している、後退している」というべきなのかもしれない。国家を担う首相や閣僚、議員や官僚からして、国民を引っ張っていくべき「信念」がぐらついている。それは主に、既得権益に左右されている。

こうした「信念を貫く」べきものが希薄になっているのは、「社会の基調性」が整っていないことにあるのではないかと思う。

私たち人に限らず、生きるもの全ては「幸せになりたい」という思いと願望を持つ。この思いと願望は、一般的には、「豊かさ、楽、楽しみ」を思い願う。
しかしこの「豊かさ、楽、楽しみ」を思い願う位置が、上位にある程、「信念の貫き」が希薄になるように思う。それは「欲望」が、「欲望」を生み出すからだ。

一方、この「豊かさ、楽、楽しみ」というものを、底辺で受け入れる時には、「戴けることへの感謝」というものを感じている。
上位で受け止める時には、「豊かさ、楽、楽しみ」というものを、見下すように受け止めている。当たり前のように・・・・
しかし底辺の、下位にあって受け止めるとしたならば、そうしたおごりを持つことはできない。
こうしたおごりを持つことのできない底辺や下位に、「信念を貫く」気概があり、そこに「社会の基調性」となるものがあるだろう。

コメント
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