青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

個人の意識改革計画

2008年11月09日 | 人生設計

私達には「俺が、私が」という、気がある。「俺でなければ、私でなければ」とか「俺を置いては、私を置いては」という気があって、それで何かと角が立つ。
これはまた、よく言う「個人情報の保護」にもつながる。
いわば「私」という「保有、所有」を、権利行使しようとしている。

しかしこれは、私達の高慢である。「保有、所有」を権利行使しようとしても、それが出来る者が世迷いごとを言っているだけで、出来ない者もいる。いや、出来る者も、出来ない場合もある。

例えば「個人情報の保護」。
赤ちゃんや幼児には、こんなものは関係がない。関係が有るなら、「赤ちゃんポスト」などは、必要とはしないだろう。赤ちゃんや幼児が「個人情報の保護」を主張するならば、自らが選択できるからである。
こうしたことは、意識不明になった「病人、老人、事故にあった方」などについてもいえる。
耳や眼が見えない人達は、例えば眼が見えない人は、何かの書類に記入するとき、文字が書けない。それで代筆を頼む事になるが、そうすると「個人情報」を伝えなくてはならなくなる。耳の悪い人も、変わって電話してもらおうとすると、同じようになる。
一般の人でも、一つの病気になったなら、次の病気になった時、前の病気の情報が役に立つ。ことに転移したりして別の病院にかかった時などは、事前に病歴を告げると速く診断が着く。
脳死になって、家族などが臓器移植に同意したからといって、「個人情報の保護」を振りかざす事もできない。
「保有、所有」しているのにも、「わきまえ」が必要になる。

このことは「財産面」でもいえる。
私達の「財産」は、元々「この世界」のものにある。それを私達一人一人が「わたくし」すべきものではない。
それを「俺が、私が」といって「わたくし」しようとするから、富める者と貧しい者ととなる格差が現れる。
これによって貧しいものは根気に働き、富める者は楽をしたり、その家族は遊び暮らすという構図になる。
それで、「医師がたりない、介護士が足りない」などという。
ここに「保有と所有」の「わきまえ」の無さがある。

「個人の意識改革計画」を述べるには、まだ言葉が足りないが、「自分自身」という「わたくし」の、身の程をわきまえた「保有、所有」観を持つ事が、人だけでなく自分自身をも豊かにしていく。

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