青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

人工物のもろさ

2008年08月06日 | 人生設計

人間は「快適さ、楽しさ、楽をする」などのために、科学や機械文明を発達させてきた。即ち自然の中で生きる身でありながら人間は、人間が作り出したもの、「人工的なもの、人工物」によって「快適、迅速、楽しさと豊かな」生活をしようとしている。
だがこの「人工的、人工物」は、もろいものだった。それが今日、様々な形で露呈している。
今日の「人工的人工物」は複雑化微細化精密化、あるいは大型化している。この「人工的人工物」を扱うのは他でもない人間であるし、いざ故障とか事故ともなれば、やはり人間の手に「人工的人工物」委ねざるを得ない。しかしこの「いざ」という時、余りにも「複雑化微細化精密化、あるいは大型化している」ために、非常時や想定外には即応対応できなくなっている。教習どおり、アニマルどおりには行かなくなっている。
この「人工的人工物のもろさ」は、その人工物の疲労から来るもの、不純物混入等の欠陥によるもの、人の間違った取り扱いによるものなどの他に、自然災害や各種の事故、交通事故らによるものが上げられる。
地震、竜巻、突風、集中豪雨やゲリラ雨などに危うい。
今日の「人工的人工物」は、電力や燃料によって稼動しているから、災害などで停電などに見舞われると暗礁に乗り上げてしまう。
こうした自然災害だけで無く、我々の行動による「人的」な行為によっても「人工的人工物」はもろい。
先日のエスカレーター事故、首都高速道事故車燃焼事故等、イベントに押しかけるとか過密道通行に伴うという我々の社会性によるもろさである。
社会性のもろさは、「人工的人工物」に対して偽装捏造行為まで生み出している。それは食品にまで及んでいる。

「快適さ、迅速さ、楽しさ、楽をする」などを追求ために、かえってこうした不自由を招くことにな。
物事には「完全」というものは無い。だとしたら、程々にしておき、自分自身が持っている「肉体力」を使うように努める必要があるだろう。
メタボになったから、エアロビックでエネルギーを浪費せずに、生活にも仕事にも役立てるようにしては・・・・・

コメント
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