青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

常態性の擁立  (下)

2008年03月14日 | 人生設計
私たちには、物事を「損得勘定」で判断したい習性がある。それは何よりも、自分が優位に立ちたいからである。
優位に立ちたいとしても、全てのものが優位に立てるわけがない。自ずから順位が生じてしまう。それによって上辺にたつものと、下辺に立つものとに分かれる差別にもなる。
それにもまして、人には人にはそれぞれに長所と、短所を併せ持っている。それは性格ばかりでなく、身体特徴でも言える。
健常者もいれば、障害者もいる。病弱者もいる。老齢者もいる。これらの人達が「損得勘定」で優位に立とうとしても、虐げられるばかりになっている。
こうした各々の持つ長所と短所を区別する事なく、差別する事なく、そしてそれが普通なのだとするのが常態ということであるだろう。
こうして自分自身においても、他の人達に対しても、そこには特別でも特徴さもない、普通なものと全てを常態性あるものと見る時、そこには民主主義の理念である平等が存在する。平等が存在する時、自由意識も、正しく備わることになるだろう。
平等と自由意識が正しく備われば、私達はいたずらに「損得勘定」に走り、切った張ったの社会ではなくなってゆく事だろう。
そして精神異常者も減り、大気汚染も異常気象も収まり、自然環境は蘇ってゆくかもしれない。
今の私達は「損得計算、欲得計算」などの「損得勘定」にあくせくするよりも、常態性の擁立を急ぐ必要がある。
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