津城寛文の徒然草Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

シンポジウム報告

2016年10月16日 | 日記
 日本学術会議が、軍事研究を解禁してよいかどうかで、大揺れに揺れています。IWJのウェブジャーナルの記事から、引用します。

「安全保障と学術に関する検討委員会」を設置して初めてとなる総会が2016年10月7日、東京都内で開かれ、会員からは「軍事に関わる研究には関与しないことを学術会議として確認すべき」「『731部隊』の振り返りもない。科学と軍事がからむ『国家資源』としての科学を見直す必要がある」など、軍事研究に対し否定的な意見が噴出した。

学術会議の会長である大西隆氏が学長を務める豊橋技術科学大学では、防衛省の制度を利用し、防毒マスクの研究を始めている。これは民生にも転用できる「自衛」のための研究だと大西会長は弁明したが、会員の中には「自衛というのは攻撃的であることの裏返し。どこで線を引くのか注意すべき論点」「防衛省の予算を使って研究すること自体、海外から誤解をうけてしまう」など、懸念の声が相次いだ。


 とりあえず問題になっているのは、ハードにかかわる科学技術であり、人文社会系は、あまり関係がないようですが、研究費が付くようになると、ソフトな思想、文化、教育も、軍事研究の周辺部の研究課題に、応募するようになる可能性があります。「いつか来た道」という懸念が出るのは、まったくの杞憂ではありません。

 私のようなノンポリのところにも、この問題に関連した研究会・集会のご案内がいくつかありましたが、本日は、前から予定のあった「特別合同シンポジウム:今ふたたび平和と公共を問う」(上智大学)を聴講しました。パネリストは、鎌田東二先生、小林正弥先生、栗田禎子先生、司会は千葉眞先生です。

 参加者も含め、ほとんどの方は平和主義者で、私も平和主義者ですので、最近の日本や世界全体の動向には、共通して大きな懸念をもちながら、直接の政治運動や社会運動というより、むしろ、少しでも多くの市民の考え方が善良化するよう、それぞれの立場で、思想や文化を実践する、という姿勢を共有しているように思いました。

 参加者は50人弱でしたが、こういう一隅を照らす小さな実践の積み重ねが、神仏の御心に通じることで、少しでも良い方向への動きにつながることを祈りました。

 私たちの行いや思いには、善い行いがあり、善からぬ行いがあり、善い思いがあり、善からぬ思いがあります。より多くの人の、より長い幸せにつながるものは、より善いものでしょう。ごくわずの人の、一時的な幸せだけをもたらすものは、善からぬものでしょう。誰のためにもならなないものは、愚かの極みですが、黒白はっきりした、善悪のはっきりしたものは、この世にはありません。どれも連続的であり、どこで線引きができるというものではありません。

 成熟した賢明な魂は、より善いものを求めるものです。未熟で蒙昧な魂は、善からぬものを求めることがあります。成熟した魂は、未熟な魂が成長するために、親が子供を育てるときのように、工夫しなければなりませんが、工夫には限界があり、子供の成熟の速度にも限界があります。やってみなければわからないというときは、敢えてやらせてみて、痛い思いを体験させる、ということも必要になるかもしれませんね。

 世界の平和と、人類すべての幸せを祈ります。



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