津城寛文の徒然草 Shiloh's Blog

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大前研一さんの「日本は低欲望社会」説

2014年12月25日 | 日記
 今日のネット記事に、大前研一さんの「低欲望社会」説が紹介されていました。『週刊ポスト』新年号からの転載のようですので、多くのサラリーマンが目にして、「なるほど」と腑に落ちるのではないかと思います

 出だしは、「アベノミクスは、なぜダメなのか? ひと言で言えば、いま日本経済が直面している根本的な問題を理解していないからである」というもので、ブレーンの浜田宏一・米エール大学名誉教授、本田悦朗・静岡県立大学教授ら「アメリカの経済学説の”輸入学者”」が、世界が経験したことのない今の日本の経済状況をまったく理解していないこと、「仕掛け人」の山本幸三衆議院議員、異次元金融緩和を実行した黒田日銀総裁などが、その見当外れの指示に従って、一昨日の方向にバズーカーを撃っていること、が戯画的に批判されています。

 「個人は1600兆円の金融資産、企業は320兆円の内部留保を持っているのに、それを全く使おうとしないのである。そういう国は、未だかつて世界に例がない。貸出金利が1%を下回っても借りる人がいない。史上最低の1.56%の35年固定金利でも住宅ローンを申請する人が増えていない」という現状分析には、誰も反論しないでしょう。

 ここから大前さんは、「日本経済の根本的な問題は「低欲望社会」にある」と判断します。この判断には、賛否があるでしょう。

 政治家や利益を上げている経営者、また成長主義、市場主義の学者には、欲深い人が多いので、人間は欲深いものだから、欲を刺激し続ければ、皆欲深くなって、大量生産、大量消費、高度成長に賛成する、と思い込んでいます。したがって、「金融政策や財政出動によって景気を刺激するという20世紀のマクロ経済学の処方箋」が効果的なことを疑わないのです。
 しかし、おそらく事実は、日本の物言わぬ多数者の少なくとも半分は、大前さんの指摘のように「低欲望」の人たちです。私もその一人として、そうした考え方、生き方が、よくわかります。お金に余裕があれば、あるいは倹約して余裕を作って、それを将来のために貯蓄しておく、という考え方です。

 「宵越しの金は持たない」というのは、その日暮らしの思想ですし、また、現在主流の経済思想は、経済が発展することを永遠の理想とし、当然の前提とし、当面の目標とします。この双方に欠けているのは、「倹約」ということです。欲深い人が倹約するのは、もっと儲けるためで、安定のためではありません。

 「低欲望」の人が倹約するのは、明日のため、人のため、万一のためです。これが、二宮尊徳の「譲る」ということです。報徳の思想と、資本主義の思想は、節約、勤勉などを共有しますが、担い手の欲望の大小に、決定的な違いがあります。この2つの考え方の違いを説明されれば、報徳の思想のほうに共感する人が、日本には多いのではないでしょうか。

 大前さんは欲は小さいほうがいいとは、思っておられないようです。私も、欲が小さいのがいいかどうかわかりませんが、気質的に、欲が大きいのは危険で、有害なように思います。私を含む日本人の半数ほどは、雨露をしのぐ家があり、食に事欠かない稼ぎがあり、孤独でない人間関係があればよい、という小さな欲を目標にしています。衣食住に不足なく、夫婦親子が支え合うというのは、昔の流行語でいえば「社稷」の思想です。

 「低欲望社会」に住む人々に、ふたたびアメリカ流の贅沢を目指せというのは、とりわけ一度はバブル狂想曲を経験して大けがをしたあとでは、説得力はゼロに近いでしょう。

 輸入学者は、自前で考えていないので、やがて淘汰されます。時代を超えて残るのは、宇沢弘文さんのような、福岡正信さんのような、二宮尊徳翁のような、盤珪禅師のような、法然上人のような、輸入思想を踏まえた(組み敷いた)自前の思想です。

 一般論として、他を批判するのは簡単で、かつ正確ですが、自ら提案するのは難しく、かつただの理想論か、穴だらけの主張になることが通則です。
 大前さんの「低欲望社会」という正しい現状判断から、はたしてどのようなよい処方箋が描かれるのか、見守りたいと思います。







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