津城寛文の徒然草 Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

Homo colloquens 世界初・日本発の人間観

2017年04月25日 | 日記
 今回は100パーセントまじめな、学術的な話です。
 日本発、世界初のタームとして、'Homo colloquens'「語り合う人間」という人間観を提案します。

 2年前に、本務校の大学院所属が、宗教学分野から、日本研究分野に異動になって、以来、8割ほどが留学生の院生に、講義や論文指導をしています。授業科目に、翻訳に関するものもあり、これまで断片的に考えていたことを整理する、よい機会になっています。

 このたび、それらを教科書にまとめることになって、原稿を書いている中で、翻訳の不可能性、不可欠性にからんで、「語り合う人間」という人間観に、言及しようと思いました。

 生物学的なヒトの命名、Homo sapiens(知識のある人間)を出発点に、近代になって、さまざまな人間観が提案されてきました。Homo ludens(遊ぶ人間)、Homo faber(ものを作る人間)、Homo religiosus(宗教的な人間)、Homo loquens(言葉を使う人間、話す人間)などです。

 どこかに「語り合う人間」はないかと思って、Homo, dialogueなどで検索しましたが、ありません。どうやら、未提出のようです。

 西洋古典語の知識がないので、専門の大家の先生に相談して、どのように造語できますか、とお尋ねしてみました。先生からはさっそく、初心者向けに懇切なご説明をいただき、まさに「語り合う人間」の語り合いの結果、Homo colloquensが適当、ということになりました。

 生き字引が集まった知の拠点のありがたさを、痛感します。

 この人間観を、次回は英語で説明します。できれば、教えてくださった先生に、このブログに寄稿していただくかもしれません。あるいは、先生がブログやホームページその他を開設しておられれば、そちらで語っていただくかもしれません。

 数回、学術的な話題が続きますので、ご期待ください。

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意見広告Announcement:

「語り合う人間」という人間観を、
日本オリジナルとして提案
'Homo colloquens'
as a view of humanity
presented originally
and initially from Japan


 



 




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