津城寛文の徒然草 Shiloh's Blog

時事問題や世間話その他に関して雑感を記し、著書その他の宣伝、関係者への連絡も載せています。

(-_-)しつこく祈ること

2017年04月21日 | 日記
 新約聖書は、他の経典や言行録とともに、知恵の言葉の宝庫の1つであるだけでなく、類例の少ない皮肉な知恵の宝庫でもあります。アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』は、知恵というより、全編が皮肉とブラックジョークで、あまり処世の役には立たず、ただのスネモノを育てるだけのようです。

 前にも書いたように、たとえば「上着を取る者には、下着をも与えよ」「下着を取る者には、上着をも与えよ」というのは、賢者がどちらかを述べて、それを聞き伝えた弟子筋が、真意を取り違えて、逆にしたものにちがいありません。なお、誤解はないと思いますが、念のため、これは、使用済み下着が高く売れる奇妙な業界の話ではありません。

 賢者のオリジナルが前者であるとすれば、これは皮肉です。(値の張る)上着を盗む者は、根性の貧しい者だから、その貧しさにふさわしい、(値の低い)下着もくれてやれ、という意味でしょう。

 後者は、安い下着を取る者は、やはり貧乏だから、憐れんで、高い上着も上げなさいという、『レ・ミゼラブル』の神父のような、お人よしの聖者の言葉でしょう

 さて、祈りについて、「長々と祈るな、神は貴方に何が必要か、ご存じである」という知恵の教えと、「しつこく頼めば、人間同士でも、うるさく思って、早く立ち去ってもらうために、願いを聞いてやるだろう、ちょうどそのように、神にもしつこく祈れば、神はうるさく思って、もう二度と来ないように、祈りを聞いてくださる」という、皮肉な教えがあります。「熱心に求めなさい、そうすれば与えられる」「何度も戸を叩きなさい、そうすれば開けてもらえる」というのも、半分ほど皮肉が入っています。

 皮肉な教えは、あまり根性が上等でない、初心者向けのものです。世間でも、しつこく頼めば、うるさく思って、厄介払いのために、聞いてもらえる、という話は、政治家や役所への「陳情」でも、結構あるようです。そういう猿知恵を持った人は、しつこく頼むことを覚えて、補助金や助成金をかき集め、度が過ぎると、ときどき事件化します。

 私は誰に対しても、しつこくしないのですが、逆に人からしつこくされることは、ときどきあります。そういうときは、しつこくされたときの神仏の気持ちが、少しわかるような気がします。「わかった、願いは何でも聞いてやるから、しばらくは、レベルの低い願いで、うるさくしないでくれないだろうか」という気持ちではないでしょうか。願いを叶えることが、その人のためにならないとわかっていても、あまりにうるさいと、神仏も開き直って、「では叶えてやろう、それがお前のためになるかどうかは、私の責任ではなく、お前の責任である」という気になられるでしょう。

 人生の真実を知っていれば、「二度と来るな」とは言えません。すべての人はどこかしらで永遠に生き続け、関係はいつまでも続くからです。ただ、「あまりに初歩的な願いでしつこくつきまとうのは、ちょっと勘弁してください」ということであり、「もう少しマシな人間になってから、また出直してきてくれないでしょうか」ということです。

 こういう人間に対しては、即効性の方法があります。あれこれの無理難題を、しつこく言ってくる人には、こちらもしつこく、ただし「もう少しマシな人間に、早くなってください」という祈り言葉を、心の中で、「倍返し」で、あるいは「7の70倍」で、しつこく祈り返すこと、祈り捨てることです。

 しつこい相手には、しつこい祈りをもって対応しましょう。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« (^o^)雷彦 | トップ | しつこい菩薩 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む