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【冬の】インフルエンザをiPhoneアプリと乾湿計を使って撃退しよう!【風物詩!?】

2017-01-26 07:45:23 | 健康
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  iPhone用ゲームアプリ(iOS6.0以上)

(担当S)
 
 インフルエンザが冬の風物詩と言うとチョット語弊がありますが、寒い冬に流行りやすい病気であるのは確かです。
 しかし適切な予防策を講じれば、感染リスクはグンと下がります。
 そこで今回はインフルエンザの予防策について、主に室内での予防に主眼において書いていきます。
 
 
(1)インフルエンザは空気が乾燥すると流行しやすくなる?
 上の表は、インフルエンザの感染のし易さと湿度の関係をあらわした表です。
 この表で見ると、空気が乾くとインフルエンザに感染し易くなるのが良く分かります。
 冬にインフルエンザが流行るのは、空気が乾燥してしまうからです。
 インフルエンザの予防には、上の表に従うと、どうやら"絶対湿度"が最低でも11g/m3は必要になるのが分かります。
 "絶対湿度"が17g/m3なら、インフルエンザのウィルスはほぼ死滅しますが、そこまで室内の湿度を上げてしまうと、今度はカビの発生を気にしなければいけなくなるので、インフルエンザを予防するには"絶対湿度"11g/m3が現実的なラインだといえるでしょう。
 
 
(2)インフルエンザ予防の為に自分の住んでいる部屋の湿度を知ろう!
 上の写真は湿度を測る道具の一つである乾湿計です。Amazonなんかだと1,500円くらいで手に入ります。
 乾湿計は直感的に湿度が分からないと言う欠点がありますが、このブログとしては、湿度を測る道具として乾湿計をイチオシします。
 なぜなら、湿度を針と目盛りで示す一般的な湿度計は、誤差がかなり大きいからです。しかし乾湿計は値段が安い割には比較的、正確に湿度が測れます。
 それとインフルエンザの流行と関係しているのは、普通の湿度ではなくて"絶対湿度"なので、乾湿計を使わないと、この"絶対湿度"は計測できません。
 ※乾湿計について更に詳しい事を知りたい人はココをタップ(クリック)して下さい。
 
 
(3)でも、乾湿計で正確な湿度を測るのには、ひと工夫が必要
 「市販の安い乾湿計だと湿度が正確に測れない」と言う人が結構いるみたいですが、実はホンのちょっとだけ工夫をするだけで、安い乾湿計でも正確に湿度を測れるようになります。
 その工夫とは、上の写真のように、乾湿計に風を当ててやるのです。
 風速5メートル/秒以上の風を当ててやれば正確に湿度を測れるようになりますが、ぶっちゃけウチワなどであおいでもOKです。
 夏が終わってからずっと御用済みのウチワを、ここで有効活用させましょう。
 しかし、乾湿計に風を当ててしまうと、乾湿計本体に付属している計算表では、正確な湿度を算出する事が出来なくなります。何故なら付属している計算表は、無風状態で計測を行った時の大まかな湿度を算出する為のモノだからです。
 ここでやっとiPhoneの登場です。
 今日ではiPhoneのAppStoreなどに、こう言う湿度の測り方をしてもチャンと計算してくれる便利なアプリが公開されているので、それを活用しましょう。
 
 
(4)では、実際にiPhoneアプリを使って、実際に"絶対湿度"を計算してみよう!
 まずコチラからアプリをダウンロードして下さい。
 乾湿計で測った2種類の温度から、湿度やその他の指標を計算する為の専用のアプリです。
 ダウンロードが終わったらアプリを立ち上げた状態で(3)で紹介した方法を用いて、乾湿計で室内の湿度を測ります。
 3分~5分は乾湿計をウチワであおいで、乾湿計の2種類の温度計が指し示す温度が安定したら、素早く温度を読み取ります(※3分~5分もあおがなくても、短時間で温度計が指し示す温度が安定したら、そこでウチワであおぐのを止めても結構です)。
 どうやってアプリを使って"絶対湿度"を計算するのかを、これから解説しますが、説明を簡単にする為に、とりあえず下記の計測結果だと仮定して話を進めていきます。
 
 「乾球温度」(※普通の温度の事。"DRY"と英語で表記される事もアリ)・・・・・・・・・・・ 26℃
 
 「湿球温度」(※ガーゼが巻かれている温度計の温度。"WET"と英語で表記される事もアリ)・・14℃
 
 まずは、上の写真に指示されている所をタッチします。
 
 ピッカービューが表示されますので、ホイールを回して「乾球温度」の26℃を入力します。
 そして入力後に「完了」をタッチします。
 
 
 お次は「湿球温度」の入力です。
 「乾球温度」を入力した時と同じように、上の写真に指示されている所をタッチします。
 
 またしてもピッカービューが表示されますので、ホイールを回して「湿球温度」の14℃を入力します。
 そして入力後に「完了」をタッチします。
 
 上の写真の赤い円で囲っている所に、"絶対湿度"の数値が表示されます。
 これで見ると、現在の室内の"絶対湿度"は5.75g/m3のようです。
 インフルエンザの感染を防ぐには、最低でも11g/m3以上の"絶対湿度"が必要なので、加湿器などを使って室内の"絶対湿度"を上げる必要があります。
 ※このアプリには気圧の入力項などがありますが、そこをいじる必要はありません。
 
 
(5)まとめ
 少々手間ですが、上記で説明した方法を使って1日に何回か室内の"絶対湿度"を確認し、"絶対湿度"が11g/m3を下回らない様にすれば、インフルエンザの感染リスクを大幅に下げる事が出来ます。
 加湿器を使う場合には、加湿しすぎて室内にカビを発生させない様に注意して下さい。



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 [gooブログ]【冬の】インフルエンザをiPhoneアプリと乾湿計を使って撃退しよう!【風物詩!?】
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【やっぱり…】歴史を動かし損ねた決断ミス 5選【アカンかったか…(遠い目】[後編]

2017-01-26 07:44:15 | 歴史

2944

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(担当S) 


 
 
(4)世界初の有人宇宙船による月軌道の周回飛行(旧ソ連)
 1950年代後半から始まった米ソの宇宙開発競争で、最初の頃は旧ソ連がアメリカに対して大差をつけて勝利を収めていました。
 アメリカが僅か14キログラムの人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに手こずっていた同じ頃、旧ソ連は重量が500キログラム以上もある人工衛星の宇宙への打ち上げに成功しており、アメリカの劣勢は誰の目から見ても明らかでした。
 この旧ソ連の成功の陰には、天才科学者と呼ばれたセルゲイ・コロリョフが大きく関わっていました。
 コロリョフは単に優れた科学者と言うだけでは無く、相手が自分よりも下の立場の人間であっても、何か良いアイデアを提案したら、真摯にそのアイデアに耳を傾ける事が出来る器の大きさを持っており、そして手柄を独り占めするような事もせず、多くの技術者や宇宙飛行士から慕われた大変、人望の厚い人物でした。
 そのコロリョフが陣頭指揮に立っていた頃の旧ソ連は、正に破竹の勢いで、宇宙開発でアメリカに対しては連戦連勝でした。
 しかしコロリョフは若い頃に冤罪でシベリアに流刑された事があり、その時に受けた虐待によって心臓を痛めていた為に、健康面には大きな問題を抱えていました。
 そんな体なのにも関わらず、殆ど休む事もなく激務をこなしていた事から、体調が悪化。1966年にガンの手術中に心肺が停止し、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
 世界初の人工衛星や有人宇宙飛行を指揮して成功に導いていたセルゲイ・コロリョフが亡くなると、途端に旧ソ連の宇宙開発は精彩を欠く様になり、アメリカの猛追を許す事となります。
 そんな状況下でも宇宙開発競争でアメリカに勝つ事は、当時のソ連にとっては政治的な至上命題であり、アメリカが月を目指すのならばソ連が先に人類を月に送ってやる、と言った感じで、ますます宇宙開発競争はエスカレートしていきました。
 そんな米ソの宇宙での対立が激化していく最中、1968年11月10日に旧ソ連は一隻の有人宇宙船を、月に向けて打ち上げます。
 後に「ゾンド6号(※姿形については上のイラストを参照)」と呼ばれる事になるその宇宙船は、地球から38万キロメート離れた月の周回軌道をぐるっと回った後、無事に地球へと帰還します。
 本来ならば人類初の月軌道周回になるはずだったのですが、この時に「ゾンド6号」に乗っていたのは宇宙飛行士ではなく亀などの小動物でした。
 実はコロリョフの後を継いで、旧ソ連の宇宙開発の最高責任者になったヴァシリー・ミーシンは、かなりの臆病者だと陰口を囁かれるような人物であり、前年に起きたソユーズ1号の事故により宇宙飛行士のウラジミール・マカロフが殉職していた事から、危険度の高い有人宇宙計画に対しては安易に宇宙飛行士を乗せたりはせず、何度か無人で宇宙船を飛ばして安全である確証が取れてから、初めて宇宙飛行士を乗せる方針を取っていました。
 当時を知るアレクセイ・レオーノフ元宇宙飛行士(※世界初の宇宙遊泳を行った人物)は、日本のテレビ局の取材に対して「ミーシンでは月に人類を送るのは無理だと感じた」と述懐しています。
 「ゾンド6号」が月から帰還した翌月の12月24日に、アメリカは旧ソ連に先駆けて「アポロ8号」による人類初の月軌道周回を成功させますが、これを境にして旧ソ連の宇宙開発は、徐々にアメリカから遅れを取る様になっていきます。
 
 
(5)実現できなかった初期のスペース・シャトル構想(アメリカ)
 アメリカが1981年から2011年まで、宇宙にヒトやモノを運ぶのに利用していたスペース・シャトルは、世界的にも有名な宇宙船の一つでした。
 そんな抜群な知名度を誇っていたのにも関わらず、アメリカがスペース・シャトルの廃止を決断したのは、幾つか理由があります。
 まず最大の理由は安全性で、2度の重大事故により計14名の犠牲者を出していますが、これは一つの宇宙開発計画で出した犠牲者数としては、現在(※2017年1月)でも最悪の数字です。
 次に経済性で、当初は日本円で30億円程度と見積もられていた一回の打ち上げ費用が、最終的には800億円まで膨らみ、旧式の使い捨てロケットを使って人工衛星や有人宇宙船を打ち上げた方が結果としてコスト的に安く付くと言う、逆転現象が起きてました。
 当初、スペース・シャトルは同じ宇宙船を何度も再利用できる事から、画期的に宇宙飛行のコストを下げる事が出来ると言う謳い文句で登場しましたが、蓋を開けてみれば想定外に整備費用が嵩んだ為に却ってコストが高く付き、いつまで経っても低コストの宇宙飛行を実現できずにいました。
 これらの理由から、最後まで運用されていた3機のスペース・シャトルも老朽化が進んだ事から退役が決定され、2011年7月8日に行われたスペース・シャトル「アトランティス号」のフライトを最後に、宇宙開発の桧舞台から姿を消しました。
 宇宙開発を専門に扱うジャーナリストの中には「スペース・シャトルはミス・コンセプトで中途半端な宇宙船だったので、後継の宇宙船が作られる事も無く退役に追い込まれた」と、手厳しい批判をする人もいます。
 そんな、イマイチ冴えない結果で終わってしまったスペース・シャトルでしたが、最初に考えられていたスペース・シャトルのコンセプト・モデルである"DC-3"は、もし実現ができていれば「真の宇宙往復機(※スペース・シャトルの日本語訳)」と呼ぶのに相応しいものでした。
 その"DC-3"は上のイラストに描かれている様な、大きな飛行機の上に小さな飛行機が乗っかっている姿をしていたのですが、この姿のままで成層圏よりも高い高度まで上昇して、そこから小さな飛行機だけが宇宙空間に飛び出すと言う構想でした。
 大きな方の飛行機は小さな飛行機を切り離すと、普通の飛行機と同じ様に飛行場に着陸します。
 また小さな方の飛行機も、宇宙空間での任務が終了すると、これも普通の飛行機と同様に飛行場に戻ってきます。
 飛行場から飛び立って、そして再び飛行場に戻ってくると言う、普通の飛行機の様な運用が想定されていた"DC-3"でしたが、それを実現するには大きな方の飛行機に音速の3倍以上の速度で飛ぶ性能が求められた事から、当初から技術的な困難が予想されました。
 "DC-3"のコンセプトの提唱元である米ノースアメリカン社は、技術的なハードルを下げる為に基本的な形はそのままにして、(普通のロケットの様に)垂直に打ち上げられるコンセプトへと軌道修正を図りますが、それでも莫大な開発費がかかる事が予想された事から、結局"DC-3"のコンセプトは却下されてしまいます。
 その後、実現されたスペース・シャトルは、"DC-3"のコンセプトの一部を借用しながらも、開発費を抑える為に妥協に次ぐ妥協を重ね、劣化版"DC-3"の様な感じのモノとなって世に出る事となります。
 しかし、そうして出来上がったスペース・シャトルが、安全性や経済性に深刻な欠陥を抱えていたのは、史実が伝える通りです。
 2度にわたるスペース・シャトルの重大事故は、打ち上げ直後、あるいは打ち上げ時の機体の破損によって引き起こされていますが、"DC-3"のコンセプトでは、このような打ち上げ時(あるいは離陸時)に発生した問題による事故は、起こりようがありませんでした。
 もし、"DC-3"がそのままのコンセプトで作られていたら、計14名の命を奪ったスペース・シャトルの重大事故は発生していなかったかもしれず、また、宇宙飛行の低コスト化も実現できていた可能性もあり、今よりも宇宙はずっと身近なモノになっていたかもしれません。
 
 
 これらの話は、もちろんif(イフ)に基づいた仮定ですから、適切な決断を行っていたとしても、史実が覆らなかった可能性は十分にあります。
 「こんな話もあったのか」程度に、あくまで仮定に基づいた話として、聞き流してもらえると幸いです。
 
 
 
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[gooブログ] 【やっぱり…】歴史を動かし損ねた決断ミス 5選【アカンかったか…(遠い目】[後編]
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【やっぱり…】歴史を動かし損ねた決断ミス 5選【アカンかったか…(遠い目】[前編]

2017-01-26 07:43:57 | 歴史

2944

  iPhone用ゲームアプリ(iOS6.0以上)

(担当S)

 
 歴史にif(イフ)は禁物だと言われていますが、近代史には「これは明らかに決断ミスでは…」と言いたくなる様な事例が数限りなくあります。
 そんな決断ミスの中には「あの時こうしておけば、こんなトホホな事にならずに済んだのに…」と、どうしても考えてしまいたくなるようなモノがいっぱいあります。
 そこで今回は、近代史の中で歴史を動かし損ねたと思われる決断ミス5選を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介してゆきたいと思います。
 
 
(1)第一次世界大戦での英仏からの陸軍派遣要請の拒絶(日本)
 戦前の日本は暗黒の時代だと考えられがちですが、大正デモクラシーなどの言葉が示す通り、平和で文化的な雰囲気が溢れていた時期もありました(※余談ですが、担当Sが現在住んでいる大阪が東洋一の大都市になったのも、この時期です)。
 大正時代がどうして自由な雰囲気に包まれていたかと言うと、第一次世界大戦によって発生した戦争景気と、当時、世界最大の植民帝国だった超大国・イギリスと同盟を結んでいたお陰で、欧米列強が日本に戦争を仕掛けてくる心配が和らいで、国防の問題をある程度は後回しに出来たからです。
 この大正デモクラシーが持つ空気は軍部にまで及び、大正時代の軍人は昭和時代の軍人とは違って、軍服のファッションなどにも、かなり気を使っていました。
 そんな平和で文化的な空気に包まれていた日本でしたが、青天霹靂とも言える要請がイギリスとフランスから齎されます。
 当時、ヨーロッパ各地で戦闘に明け暮れていたイギリスとフランスの両軍は、精強なドイツ軍相手にかなりの苦戦を強いられており、これを打破する為にイギリス・フランスの両政府は日英同盟を根拠に、日本に対して陸軍の派遣を打診してきたのです。
 しかし、戦争景気に沸いていたとは言え、未だ発展途上の貧乏国だった日本は、膨大な軍事費の捻出が予想されるヨーロッパへの陸軍の派遣を渋り、イギリス・フランス両政府に対して丁寧なお断りの返事をしました。
 一説では、日本政府がこの時に陸軍の派遣を渋った陰には、1905年に起きた日比谷焼打事件のトラウマが、未だ政府首脳陣の頭の中に根強く残っていた為だと言われています。
 多大な犠牲者が出る事が予想される割には、殆ど何の利益も得られないと思われるヨーロッパへの陸軍の派遣は、再び日比谷焼打事件の様な国民の怒りを買う恐れがありました。
 しかし、この時に下した派遣拒否のツケは、決して安くはありませんでした。
 日本が陸軍を派遣してくれなかった事に対して深く失望したイギリスは、第一次世界大戦が終結した3年後の1921年に、それまで19年間続いてきた日本との同盟の解消を決め、続く1923年に正式に日英同盟が失効します。
 この日英同盟の失効により、それまでは超大国・イギリスの威を借りる事が出来た国防を、日本一国で全て行うしかなくなり、これが昭和初期の過剰な軍国主義体制へと繋がって行きます。
 
 
(2)ウィルソン政権の国際連盟非加盟(アメリカ)
 第一次世界大戦末期の1918年に、アメリカのウッドロー・ウィルソン大統領(※上の写真の人物)は「世界平和機構の設立」を訴え、このアイデアが後に国際連盟(※現在の国際連合の基となった国際機関)として実現する事となります。
 しかし、国際連盟の提唱者とも言えるアメリカは、モンロー主義を唱えるアメリカ国内の有力政治家達の反発によって国際連盟の加盟が阻まれてしまい、イギリス・フランス・日本等の世界の主要国が次々と国際連盟に加盟していく中で、アメリカは最後まで非加盟のままでした。
 第一次大戦によって、それまで世界を支配していた大国であるイギリス・フランス・ロシア・ドイツ・オーストリアは大きく国力を後退させており、敗戦国であるドイツとオーストリアに至っては帝政の崩壊に付け加え、国家そのものが解体されてしまいました。
 ロシアも戦争中に起きたロシア革命によって、それまでの帝政が崩壊し共産主義国家のソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)へと変わってしまい、以前のような世界に覇を唱えられる力を失っていました(※旧ソ連が超大国として君臨するのは、第二次世界大戦が終結してから)。
 この時点で世界を動かせる力を持っていた大国は、アメリカ一国だけになっていたのですが、そのアメリカが国際連盟に加盟しなかった為に、国際連盟はその設立当初から機能不全に陥っていました。
 世界平和の実現を期待された国際連盟でしたが、結局、世界に平和をもたらす理想は夢物語に終わってしまい、後の1939年に引き起こされる事となる新たな世界大戦(第二次世界大戦)に対しても、有効な抑止力とはなり得ませんでした。
 
 
(3)チェンバレン政権のナチス・ドイツに対する不干渉
 第一次世界大戦でイギリスは戦勝国になりましたが、それにも関わらず戦争によって人的・経済的に大打撃を被ったことにより、19世紀初頭から100年近く続いてきた世界一の超大国の座から、今にも滑り落ちようとしていました。
 それでも、未だ世界に対する強い影響力は揺らいでおらず、超大国であるイギリスと面と向かって争うおうとする国は存在しませんでした。
 それは後にイギリスと死闘を繰り広げる事となるナチス・ドイツにしても同様で、ヒトラーはイギリスとの対立を避けて共闘する道を模索していた程です。
 そんな状況の中で、1937年5月にイギリスでチェンバレン政権が発足します。
 首相であるネヴィル・チェンバレン(※上の写真の左側の人物)は、ナチス・ドイツのヒトラーよりもスターリン率いるソ連の方が、イギリスにとっては遥かに脅威であるとの考えを持っていたので、ドイツに対しては宥和政策を取る事にしました(※チェンバレン政権発足前の1935年に結ばれた英独海軍協定により、イギリスはドイツに対して以前から融和的だった)。
 しかし、ヒチラー率いるナチス・ドイツは、チェンバレン政権が発足する前年の1936年1月に、中立地帯として設定されていたラインラント地方に無断で軍隊を駐留させるなど、膨張主義の片鱗を既に垣間見せていました。
 その後もヒトラーによる膨張主義的な行動は止まらず、1938年4月にはオーストリア併合、そして同年9月にはチェコスロバキアのスデーテン地方をドイツに編入します。
 このスデーテン地方の編入に対しては、流石のチェンバレン首相も難色を示しますが、ヒトラーが「これが最後の領土要求である」と宣言したので、取り敢えずはその言葉を信じて黙認する事にしました。
 しかし翌1939年1月にドイツはチェコスロバキアを解体し、更に同年9月1日にはポーランドに対して軍事侵攻を開始した為に、ドイツとの融和を探っていたチェンバレン首相も、この明らかな侵略行為に対して、もはや黙って見過ごす事が出来なくなりました。
 ポーランド侵攻の2日後の9月3日にイギリスはドイツに対して宣戦を布告。ここに第二次世界大戦の火蓋が切って落とされる事となります。
 第二次世界大戦の初期にドイツ軍はイギリスやフランスの連合軍を圧倒した事から、大戦前から既に非常に強かったのだと思われがちですが、実はチェンバレンが首相になった1937年頃には軍備がまだ十分には整っておらず、もしイギリスが軍事的に威嚇したら、なんの抵抗も出来ないまま屈服せざる得ませんでした。
 ですがチェンバレン政権がドイツとの融和を探っていた2年余りの短い期間に、ヒトラーは急速な軍拡を進め、気がついた頃にはイギリスとフランスが束になっても敵わない程の軍備を整えていたのです。
 この致命的とも言える失策により、チェンバレンは後世の歴史家から「ドイツに軍備を整える時間的猶予を与え、更にヒトラーが近隣諸国に侵攻する隙を与えた」と非難される事になります。
 
 
 
 
 
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【恐怖!!】霊界からの発明【決して夜中には見ないで下さい…】 第3回(5回シリーズ)

2017-01-26 07:41:08 | 歴史

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  iPhone用ゲームアプリ(iOS6.0以上)

(担当S)

 
 世の中には色々と奇妙な発明品がありますが、その中でも特に奇妙な発明と言えるのがオカルト的な効果や効能を謳っている発明品です。
 怪しげな霊感商法とかとは一切関係なく、霊的あるいはオカルト的な事を実現するための装置と言うのが過去には実在していました。
 そこで今回は、その中でも特にぶっ飛んでいると思われるオカルト的な発明5選を、担当Sの独断と偏見で選んで紹介していきたいと思います。
 
■恐怖と戦慄の発明、霊界から授かった驚異のアイデアの数々…第3回(5回シリーズ)
 
●霊体エネルギー治療装置
 
 昔から人間の身体には、目に見える"肉体"と目に見えない"霊体"の二種類があると信じられていましたが、この"霊体"に直接働きかけて多種多様な疾患を治療する「霊体エネルギー治療装置」を開発した人物が、20世紀初めのアメリカにいました。
 その人物の名はアルバート・エイブラムス。
 彼は「打診法」と呼ばれる診察法を得意とする非常に優れた医師で、X装置(※レントゲンの事)の近くにいる患者の打診音が変化する事を、偶然にも発見します。
 頭脳明晰だったエイブラムスは、この打診音が変化する理由を探求した結果、古来より"霊体"と呼ばれていた生命エネルギーが、電磁波による強い影響を受ける事を突き止めました。
 早速、この事実を基に"霊体"に作用する「霊体エネルギー治療装置」を開発し、彼はこの装置の事を"オシロクラス"と命名しました。そして、この装置による治療法については"ラジオニクス"と命名します。
 この"ラジオニクス"医療は、治療を受ける患者の"霊体"エネルギーの波動を、健康な人が持つ"霊体"エネルギーの波動へとチューニングする事により、病気を治癒する事を可能にしました。
 エイブラムスとその弟子は"オシロクラスト"による治療を大勢の患者に施して、大きな成功を収めています。
 "ラジオニクス"はエイブラムスの弟子の一人であったルース・B・ブラウンと言う女性によって、更に大きな進歩を遂げる事になります。
 彼女は"ラジオニクス"の原理を写真技術へと応用し、患者の血液から内臓の写真を間接的に撮影できる装置、"ラジオヴィジョン"の開発に成功します。
 この"ラジオヴィジョン"は患者の血液のサンプルさえあれば、X装置(※レントゲンの事)の助けを借りなくても、患者の内臓の様子を鮮明な写真として撮影する事が出来ました。
 上の写真(※PCで閲覧している場合は右の写真)は、"ラジオヴィジョン"を実際に使っている様子です。
 第二次世界大戦前のアメリカで非常に広く普及した"ラジオニクス"でしたが、1924年に発案者であるエイブラムスが亡くなると、多くの学者や医師から批判の矢面に立たされ、さらに戦後の1954年にはFDA(アメリカ食品医薬品局)から、"オシロクラスト"を始めとした"ラジオニクス"医療器具は、一切の使用が禁止されてしまいました。
 後世の"ラジオニクス"研究家によると、このFDA(アメリカ食品医薬品局)の決定は"ラジオニクス"によって従来の医学を完全に否定される事を恐れた、アメリカの医師会の圧力によって下されたものだとしていますが、真相は今でも謎の中です。
 
 …と、これから真相究明のパートですが、残念ながら"ラジオニクス"については疑似科学と断言せざるえません。
 人間の体がそんなに敏感に電磁波に反応するのなら、携帯電話やスマホを使っただけで体調が崩れたり、あるいは逆に健康が回復したりする筈ですが、寡聞にしてそんな話は聞いた事がありません。
 話が少し脱線しますけど、以前から電磁波が癌の原因になっていると言う説がまことしやかに流布されていますが、この説には科学的根拠が全くありません。
 話を戻しますが、"ラジオニクス"の発案者であるアルバート・エイブラムスは自身が優れた医師だったので、彼が"オシロクラスト"によって病気が治癒したと主張している臨床例も、実は彼自身の医療技術によって患者の疾患が治っていた可能性があります。それが例え、意識的なもので無かったにしても。
 そもそも、その辺りの科学的検証が非常に雑だったせいで、エイブラムスが亡くなると"ラジオニクス"医療は、エセ医療ではないのかと批判の矢面に立たされてしまいました。
 更に彼の弟子で、"ラジオヴィジョン"の開発者であるルース・B・ブラウンに至っては医者でもなんでもなくて、患者の血液のサンプルだけで"ラジオヴィジョン"により内臓の写真を撮る事が出来たと言う話は、余りに非科学的である為に、現在は完全に否定されています。
 彼女が"ラジオヴィジョン"を開発する前に作った"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"と呼ばれる"ラジオニクス"装置については、2万件の治療実績を上げたと言われていますが、その2万件の治療実績の内、本当に"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"によって治った臨床例が何件あるのかについては謎です。
 患者が"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"によって何らかの治療行為を受け、その後、その患者の病気が治っていたとしても、それが本当に"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"が持つ治癒効果によって病気が治ったのかについては、慎重に検討する必要があります。
 例えば軽い風邪などは、放っておいても人体の自然治癒力によって勝手に治ってしまいますが、そういう症例まで"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"の治療実績に含まれてしまうと、幾らでも治療件数が増えてしまいます。
 2万件の治療実績の詳細は分かりませんが、余りにも件数が多い為に、軽い風邪や一時的な頭痛、あるいは単なる筋肉痛などが、この2万件の中にかなり多く含まれている可能性は十分にあります。
 そうでなければFDA(アメリカ食品医薬品局)がノコノコ出てきて、"ラジオヴィジョン"や"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"の使用を禁止するはずがありません。
 更に"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"の開発者であるルース・B・ブラウンは、偽りの医療行為を行ったとして訴えられ実刑まで食らっていますが、この事からも"ホモ・ヴィヴラ・レイ・インストゥルメント"の治癒効果については非常に怪しげだったと言わざる得ないでしょう。
 
 
 
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 ゲームのジャンル的には落ちものゲーム(いわゆる、落ちげー)になります。
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【トホホ世界偉人列伝!】「なんでや!なんで兵士や国民がバタバタ倒れていくんや!(意訳)」"スペイン風邪"に勝てなかった3人の皇帝【第3回(5回シリーズ)】

2017-01-26 07:35:00 | 歴史

4207

  iPhone用ゲームアプリ(iOS6.0以上)

(担当S)

 
 偉人と言うと何だかトンデモなく完璧な人物だと思われたり、周囲の人が過剰に祭り上げたりするものですから尚更、完璧な人物としてのイメージが膨らんでしまう傾向にあります。
 しかし偉人も人の子、偉くなる前は普通の人のように失敗もすれば間違った判断で行動したりもしますし、偉くなった後でもベソをかいたりドジを踏んだりする事もあります。
 そこで今回は、偉人の知られざる意外にお茶目でトホホな面に焦点を当てながら、担当Sの独断と偏見で5人の偉人を紹介していきたいと思います。
 
■「なんでや!なんで原因不明の病で兵士や国民がバタバタ倒れて行くんや!(意訳)」"スペイン風邪"の脅威に勝てなかった、3人の皇帝
[写真]"スペイン風邪"の患者で溢れ返る米カンザス州の病院
 自称・他称を問わず21世紀の今日において"皇帝"の称号を頂く国家元首は、日本の天皇陛下しかいませんが、20世紀の初めには8人も"皇帝"の称号を頂く国家元首がいました。
 その8皇帝を、国名のアイウエオ順に列記すると
 
 インド皇帝(※イギリス王が兼任)
 エチオピア皇帝
 オーストリア皇帝
 オスマン帝国皇帝(スルタン)
 清国皇帝
 天皇陛下
 ドイツ皇帝
 ロシア皇帝

 と、なります。
 しかし、この8皇帝の中の4皇帝は第一次大戦がきっかけとなって退位、もしくは処刑されてしまいました。
 4皇帝の中で最も悲劇的だったのがロシア皇帝のニコライ2世で、ボルシェビキに子供の命だけは助けてくれと嘆願したのにも関わらず、一家全員が処刑されてしまいました。
 当時のヨーロッパは、各王室(皇室)同士で何らかの婚姻関係や血縁関係があったので、ニコライ2世を問答無用で処刑したボルシェビキと共産主義革命に対して、多くのヨーロッパの各王室(皇室)は凄まじい嫌悪を示しました。
 と、言ってもロシアで政変(※ロシア革命の事)が起こった時には、既に第一次大戦が勃発していて、ドイツ皇帝とオーストリア皇帝はロシアと敵対していましたから、どこまでニコライ2世に対して同情していたのかは未知数の部分がありますが…ドイツ皇帝のヴィルムヘルム2世なんかは、個人的な感情で社会主義者鎮圧法(※1878年に制定)を廃止に追い込んでいますからね…
 さて残る3皇帝についてですが、これらの皇帝は例外なく第一次世界大戦で負けた側の国の皇帝で、傍目から見ると敗戦の責任を問われるような形で退位しています。
 その3皇帝の名前を、国名のアイウエオ順に挙げると
 
オーストリア皇帝のカール1世
 
オスマン帝国皇帝(スルタン)の
メフメト6世
 
ドイツ皇帝のヴィルムヘルム2世
 
 になります。
 世界史に疎い人だと「オスマン帝国って何それ?食べれるの?」状態でしょうが、オスマン帝国とは現在のトルコの事です。
 近代の初めの頃のトルコ(オスマン帝国)は、イスラム教の国でありながらヨーロッパの全ての国が束になっても敵わないほどの軍事大国で超大国だったのですが、18世紀頃から衰退し始め、20世紀に入ると「瀕死の病人」とまで言われるほどになってしまいます。
 オーストリア(※"オーストラリア"ではない)は、現在では帝国という雰囲気が一切ないですが、第一次世界大戦が始まるまでは「5大国」と言う、ヨーロッパで最も強い5つの国の1カ国に数えられていました。
 当時、世界の中心地だったヨーロッパで最も強い国と言う事は、世界でも最も強い国と言うのと同意義でした。軍事的にも、かなり強い国だったのです。
 それが今では国名が良く似た"オーストラリア"の方が有名になってしまい、よく間違われる事から、内陸国であるオーストリアの国境沿いには上の写真(※PCで閲覧している場合は右の写真)のような自虐的な標識までが立てられてしまっています。
 標識の下には「オーストリアにはカンガルーはいませんよ!」と書かれているのですが、国名が紛らわしいと思うのはどうやら日本人だけじゃないみたいで、"オーストラリア"大使館に行こうとしたヨーロッパの一般市民が、間違えてオーストリア大使館を訪問してしまう事が多々あるそうです。
 余りにもよく間違われるので、オーストリア大使館は頭を抱えているとか…
 で、話を戻しますけど、先ほど紹介した3皇帝は、第一次大戦ではお互いに味方同士でした。
 この3ヶ国は相当の戦上手な国だったので第一次大戦ではしぶとく粘り、なかなか勝敗が付きませんでした
 主な敵国はイギリスやフランスなどの、当時、世界中にいっぱい植民地を持っていたリッチマンな国ばかりで、物量的には3皇帝の国はかなり押されていました。
 その上、戦争が始まってから3年目の1917年には、大国として頭角を現してきたアメリカまで参戦してきて、もともと物量では押されていたのに、それに輪をかけて圧倒され始めます。
 これで決着がついたか、と思われた第一次世界大戦でしたが、それでも3皇帝の国は根を上げません。
 しかし、永遠に膠着状態が続くかと思われた1918年の5月頃に、状況が一変する予想もつかなかったような事態が発生します。
 なんと未知の伝染病が両軍の国で大流行して、兵士や国民がバタバタと倒れ行き、この病に罹った者は殆どの場合、看護の甲斐もなく命を落としていきました。
 これが後に言う"スペイン風邪"の大流行です。
 現在ではインフルエンザの一種類だったと言われている"スペイン風邪"ですが、1918年から1919年にかけて猛威をふるい、一説では全世界で5,000万人が"スペイン風邪"によって命を落としたと言われています。
 第一次世界大戦では戦争により3,700万人が命を落としたと言われていますが、実はこの内の3分の1の人が"スペイン風邪"で命を落としています。
 ちなみに何故"スペイン風邪"と言う名前が付いているかというと、当時、未知の伝染病とされていた"スペイン風邪"を最初に大々的に報じたのが、スペインの報道機関だからです。
 感染ルートについてはアメリカから持ち込まれたと言う説と、トルコを経由してアジアから持ち込まれたと言う説がありますが、どっちが正しいのかはハッキリとは分かりません。
 しかし、アメリカでは既に1918年の3月に"スペイン風邪"と思われる疾病が、デトロイトで報告されていますから、アメリカからヨーロッパへ"スペイン風邪"が持ち込まれた可能性が、どうやら高そうです。
 この記事の冒頭の写真が、アメリカのカンザス州の病院の写真なのは、個人的には"スペイン風邪"のアメリカ発祥説が濃厚だと思っているからです。
 では何故インフルエンザの一種である"スペイン風邪"がこれほどの猛威を振るったのかと言うと、"スペイン風邪"のウィルスは通常のインフルエンザウィルスに比べ、30倍も早く増殖する能力があったからだと言われています。
 さて、話を第一次世界大戦に戻しますが、両軍の間で"スペイン風邪"が大流行すると、もともと物量に勝るイギリス・フランス・アメリカ勢が3皇帝の軍隊を圧倒し始め、敗色が濃厚になったドイツとオーストリアでは相次いで革命が勃発し、ヴィルムヘルム2世とカール1世がそれぞれ退位して、1918年の11月に第一次世界大戦は終結します。
 もう1つの皇帝の国であったオスマン帝国は、ドイツやオーストリアよりも一足早い10月30日に降伏しています。
 オスマン帝国皇帝(スルタン)は、第一次大戦の終結直後には辛うじて退位を免れたものの、1922年に起きた「トルコ革命」によりメフメト6世は退位に追い込まれ、現在の我々が知るところのトルコ共和国が成立します。
 皇帝なき後の、この"元3皇帝"の国の末路は厳しいものでした。
 比較的マシだったのはトルコで、トルコには後に「トルコの父」と言われた百年に一人、いや千年に一人と言ってもいい程の名宰相、ムスタファ・ケマルがいたお陰で内政は非常に安定しましたが、かつて東欧やアフリカ、中東に持っていた領土の全てを喪失し、トルコの領土はアナトリア半島だけとなってしまいました。
 穏便とも言える末路を辿ったトルコに比べると、ドイツとオーストリアの末路は文字どおり悲惨でした。
 ドイツではハイパーインフレによる経済の破綻やナチスの台頭を許し、更には第一次世界大戦の戦勝国への不満が引き金となって、第二次世界大戦を引き起こしてしまいます。
 第二次大戦後、ドイツは西と東に分断されてしまいますが、西ドイツは著しい経済の発展・内政の安定を見せたものの、東ドイツは経済の停滞・恐怖政治が敷かれ、第一次世界大戦が勃発してから本当の意味でドイツに平穏な時が訪れたのは、1989年のベルリンの壁の崩壊による東西ドイツの統一を果たしてからでした。
 オーストリアも第一次大戦後は多くの領土を喪失し(※ハンガーリーやクロアチアやセルビアも元々はオーストリア帝国領だった)、経済と内政も混乱を極め、1938年にはナチス・ドイツに併合されてしまい国家としての独立まで失ってしまいます。
 第二次大戦後はソ連軍に占領されていた為に、スターリンによって共産党を主体とする傀儡政権が発足します。この時、お神輿としての首班に担ぎ出されたのが、隠遁生活をしていた当時75歳の社会主義者、カール・レンナーでした。
 このままだとポーランドやチェコスロバキアのように、オーストリアはソ連の衛星国にされてしまう所だったのですが、お神輿として担ぎ出されたはずの75歳のレンナー爺さんが予想もしなかった意外な働きを見せます。
 社会主義者だったとは言えレーニンやスターリンが大嫌いだったレンナー爺さんは、祖国オーストリアを守る為にソ連に従順しているフリを見せながら、陰ではあの手この手の策を練ってソ連の衛星国になる事を阻止しようとします。
 レンナー爺さんの策は功を奏し、終戦の年に行われた選挙では国民党(右派)と社会党(左派)が仲良く票を分け合って、共産党を政権から追い出すのに成功します。
 これを面白く思わない(と言うか激怒した)ソ連のスターリンは露骨な内政干渉を行い、オーストリアをソ連の勢力下に置こうとしますが、死んでもソ連の手下になんか成りたくないオーストリアの政治家達は、右派と左派の垣根を乗り越えて共同戦線を張り、スターリンによる内政干渉を見事、跳ね返します。
 その為、オーストリアはドイツの様に国家が分断される事もなく、国土が東西に分けられてしまったドイツに比べればマシだったものの、やはり皇帝が無き後は非常に苦難に満ちた歴史を辿りました。
 そう考えると、日本は第二次世界大戦で無条件降伏をしたのに皇室を失う事もなく、僅か十数年で経済復興を果たし、その後の経済発展によって戦前とは比べ物にならないほどの強大な経済大国になったのは、かなりのレアケースだと言えます。
 だいたい世界史を見ていると、一部の例外を除いて皇室を失った国と言うのは悲惨な末路を辿ります。
 トルコのように、皇帝(スルタン)を追い出しても非常に傑出した名宰相がいれば国政は安定しますけど、そうでなかったロシア、ドイツ、オーストリアは、その後の数十年に渡って、苦難の歴史を辿りました。
 それでも一度は超大国になれたロシアは、ある意味勝ち組だったのかも知れませんが、恐怖政治による自国民の粛清、硬直した経済体制による慢性的なモノ不足などを経験し、とても順風満帆だったとは言い難いモノでした。
 と、話が色々と脇道に逸れてしまいましたけど、最後に"スペイン風邪"について語って、この話を締めさせて頂きたいと思います。
 "スペイン風邪"は医学が発達した近代以降、人類を最も脅かした伝染病であり、ヨーロッパから遠く離れた日本でも多くの犠牲者が出た事から、感染した範囲で考えると史上最大規模のパンデミック(※広範囲に及ぶ伝染病)と言えるものでした。
 だからと言うわけでもないですが、インフルエンザをただの「風邪が重病化したもの」と軽く見ずに何らかの予防対策を取るのは、かなり賢明な姿勢ではないかと言えます。
 まさか"スペイン風邪"のような事が再び繰り返される可能性は低いでしょうけど、世の中、何があるかわかりませんからねぇ…

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