過去に逃げ込んだ男

(まったく、ふざけやがって!
 あの刑事ときたら・・・。やたら細かい事には、いちいち気が付く癖に、肝心なところとなると、まるで節穴ときてる。
 よくもまあ、あれだけ自分に都合のいいように辻褄を合わせられるもんだ!)
 どれだけ走ったのだろう。人にぶつかり、ゴミの山に突っ込みながらも、小路をでたらめに走り抜けてきた為、今どこにいるのかもわからない。
 繁華街の人込みは、刑事らをまくには好都合だった。しかし、それもその場しのぎ。そんな時間稼ぎがいつまで持つか。
(なんで俺が逃げなくちゃならないんだ! それもこれも、あいつらの・・・。)
 
 男は、電車をいくつか乗り継いだ末、一車両しかないローカル線に乗り込んだ。
発車して程なくすると、高い建造物が、あたかも張りぼてだったかのように消えてなくなり、その先には、ひと時代もふた時代も戻ったような牧歌的な風景が広がっていた。
そんな景色の中、のんびり揺られていると、逃亡中というのが嘘みたいな、どこか軽快な音楽が鳴っているかのようだった。
 田園だった風景が、いつの間にか里山に変わって、しばらく走った頃、車両のスピードが徐々に落ちていき、ついには止まってしまった。
「誠に申し訳ございません。車両がオーバーヒートを起こしてしまいまして。どうか、しばらくお待ちくださいませ。」
まばらな乗客たちは、いつもの事とでもいうのか、観光客なら観光客で、こんな長閑なアクシデントを、むしろ楽しんでいるようだった。
(いつまでかかるんだ? これじゃあ、奴らに追いつかれてしまうじゃないか! もしや、これも奴らの策略か?)
男だけは、窓の外をせわしなく見やった。夏の日差しに、じわじわと焼かれていくようだった。
「大変お待たせを致しました。それでは発車致します。
 揺れますので、御注意ください。
 なお、誠に申し訳ございませんが、エアコンを切っての運行になりますので、窓をお開け下さい。」
ブルンブルンっとエンジンが始動したかと思うと、車両は再び走り出した。
 
 (次の駅だ。)
名もない無人駅に、男は降り立った。
そこは、事件が発生したとされる日時、男が実際に居た場所だった。
近くの渓谷をひとり散策していたのだ。それは、日常から抜け出した束の間の時間だった。
あの日、あの時、自分は、確かにこの場所に居たのだ。疑いの目を向けられる身になった今では、ひとつの拠り所になっていた。
(なにかアリバイを証明できるものを探さなくては・・・。)
古い木造の駅舎内を男はじりじりと見回した。
(使われていない窓口、色褪せたポスター、壁の落書き、軒下の燕の巣。どこか痕跡を残せるような場所は・・・。)
汗と共に時間が流れていった。
 
 
 「犯人は現場に戻ると言いましてね・・・。」
不意の声に驚いて振り返ると、例の刑事が立っていた。
「現場だって?
 刑事さん、ずいぶんとおかしな事を言うじゃないか。
 ここは事件とは、まるで関係がない場所だよ。
 事件当時、俺がここに居たってことは、あんたに何度も話したはず。
 そして、この場所こそが、俺が犯人じゃないって事の証拠でもあるんだよ!」
「なにか思い違いをしているようですね。
 言ったでしょう。あなたの証言は事実とは食い違っていると。
 さて。この場所のどこに、あなたの言うその証拠とやらがあるんです?」
外の強い日差しが、駅舎内の暗さをいっそう際立たせていた。男は、そう遠くない過去に思いをめぐらした。
「刑事さん、今、思い出したよ! ここに来た記念にと伝言を書き残していたんだ!」
それは、駅に備え付けられた、今では物珍しい、昔ながらの黒板の伝言板だった。
(日付とフルネームを書いてある。誰からも忘れ去られたような伝言板だ。書く者もいなければ、消す者だって・・・。)
 男は興奮して、駅の片隅にあった伝言板に駆け寄り、それを指し示した。
「ここを見てくれ!」
 刑事は、ずり落ちたメガネを直しながら、伝言板を覗き込んで言った。
「おかしいですねえ。そのような書き込みは、どこにも見当たりませんが・・・。
 どうです。もう、これで気はお済みになりましたか?
 もう、後戻りは出来ないんですよ。
 では、御同行願いましょう。」
「嘘だ~~~っ!!」
うなだれて、男が連行されて行くと、刑事は、後ろ手に持っていた黒板消しを、伝言板へ静かに戻した。
 
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