先日いった沖縄県立美術館で殷元良という画家の「雪中雉子の図」「花鳥図」という画をみた。
「なんだか若冲に雰囲気が似ているナァ?やはり若冲も中国画の影響を受けているのだろうな?」と思った。
その時は、殷元良は中国明代の画家だと思っていた。
東京に戻って調べてみると、ビックリ!
殷元良(いんげんりょう・1718~1767年)は、日本名、座間味庸昌(ざまみようしょう)。琉球王朝の宮廷画家だった。
そして伊藤若冲(1716-1800)と同時代の画家だった!
1752年には「進貢使」の一員として中国に渡っている。
「雪中雉子の図」は清朝の画家章声の画の模写だったのだ!
12月6日の朝日新聞文化面で「朝鮮王朝の絵画と日本 宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美」展が、栃木県立美術館で開かれていることを知った。
これは視にいかねばと思った次第。
昨日鑑賞後、このタイトルは少しフライング?と思って帰ってきた。
展覧会の詳細は小生がいろいろな展覧会に行く前、いつもお世話になっている「弐代目・青い日記帳」様のブログをお読みください。
朝日新聞の記事も引用されています。
18世紀、京都に朝鮮の画も紹介され、若冲たちに影響を与えたのは確かだろう。
しかしその朝鮮画に影響を与えたのはやはり明朝、清朝の画だったろう。
李朝朝鮮は15世紀に明の冊封国となった。
琉球王国も同じく15世紀に明の冊封国となり、17世紀初頭に薩摩藩(日本)の付庸国になるという国際政治の二重構造国となった。
若冲と同時代の琉球王国の画を調べることは明、清朝時代の中国画の東アジアでの影響を考える一助になりそうだ。
琉球王国、地政学的見地からも興味ある存在だ。
「なんだか若冲に雰囲気が似ているナァ?やはり若冲も中国画の影響を受けているのだろうな?」と思った。
その時は、殷元良は中国明代の画家だと思っていた。
東京に戻って調べてみると、ビックリ!
殷元良(いんげんりょう・1718~1767年)は、日本名、座間味庸昌(ざまみようしょう)。琉球王朝の宮廷画家だった。
そして伊藤若冲(1716-1800)と同時代の画家だった!
1752年には「進貢使」の一員として中国に渡っている。
「雪中雉子の図」は清朝の画家章声の画の模写だったのだ!
12月6日の朝日新聞文化面で「朝鮮王朝の絵画と日本 宗達、大雅、若冲も学んだ隣国の美」展が、栃木県立美術館で開かれていることを知った。
これは視にいかねばと思った次第。
昨日鑑賞後、このタイトルは少しフライング?と思って帰ってきた。
展覧会の詳細は小生がいろいろな展覧会に行く前、いつもお世話になっている「弐代目・青い日記帳」様のブログをお読みください。
朝日新聞の記事も引用されています。
18世紀、京都に朝鮮の画も紹介され、若冲たちに影響を与えたのは確かだろう。
しかしその朝鮮画に影響を与えたのはやはり明朝、清朝の画だったろう。
李朝朝鮮は15世紀に明の冊封国となった。
琉球王国も同じく15世紀に明の冊封国となり、17世紀初頭に薩摩藩(日本)の付庸国になるという国際政治の二重構造国となった。
若冲と同時代の琉球王国の画を調べることは明、清朝時代の中国画の東アジアでの影響を考える一助になりそうだ。
琉球王国、地政学的見地からも興味ある存在だ。
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TBありがとうございました。
リンクまでして頂き感謝感謝です!
さっぱりこの辺のつながりが
分からないままに観てきたので
頭の中未だ整理できていません。
図録でも買ってくればよかったと
今さらながら後悔しおります。
Takさんのブログにはいつも啓発させてもらっています。
若冲の時代には朝鮮絵画として認識されていたものが、明治以降、"朝鮮絵画"という言葉が抹殺されていたという話もあるそうです。
「朝鮮王朝の絵画と日本」展、静岡にもう一度視に行ってこようと思います。