竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から二期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

桜井松平家

2017年06月30日 | 十八松平家
<今までの投稿>
十八松平家・・・平成25年10月16日
竹谷松平家・・・平成25年10月26日
安祥松平家・・・平成25年11月16日
形原松平家・・・平成26年 1月 2日
大草松平家・・・平成26年 2月25日
五井松平家・・・平成26年 4月16日
深溝松平家・・・平成26年 9月30日
能見松平家・・・平成27年 7月 8日
長沢松平家・・・平成27年10月 2日
大給松平家・・・平成28年 3月29日
滝脇松平家・・・平成28年11月12日
福釜松平家・・・平成29年 4月12日

今日は、桜井松平家(さくらいまつだいらけ)を紹介いたします。
桜井松平家(さくらいまつだいらけ)は、松平宗家5代・松平長親の次男(三男とも)信定を祖とする松平氏の庶流。三河国碧海郡桜井(現在の愛知県安城市)を領したことから桜井松平家と称する。十八松平の一つ。

<三河桜井城>・・・所在地: 愛知県安城市桜井町城阿原  遺 構: 土塁 形 式: 平城 築城者: 松平信定 築城年代: 不明   
 桜井城は、現在本丸の一部が桜井公園となっている。
城の規模は結構大きい城であったようで、城山保育園~桜井精霊神社(桜井公園の南隣)など桜井町一帯が城域であったようだ。
現在では、桜井公園の一角に土塁が残っていて、この土塁の上に桜井城址の石碑がある。 また、土塁西側に桜井松平氏歴代の墓がある。

文明年間に松平信光が岩津城から安祥城へ進出して、この地も松平氏の所領となった。
松平信定が叔父親房の養子となり、桜井松平氏と祖となった。 桜井城は、この松平信定によって城として整備されたと思われる。
信定-清定-家次と桜井松平氏は、岡崎城の松平宗家に対して、しばしば反攻的な行動をとる。
しかし、桜井松平4代忠正以降は、宗家徳川家康に忠節を尽くした。(子孫は、摂津尼崎城主として明治に至る)天正18年、家康の関東移封に従い、6代家広は武蔵松山へ移り、桜井城は廃城となった。

江戸時代初期には武蔵松山藩・遠江浜松藩に封じられるが、短命の当主が多く、一時改易されたが、後に上総佐貫藩主家として復活した。以後、駿河田中藩・遠江掛川藩・信濃飯山藩・遠江掛川藩(再封)を経て摂津尼崎藩にて明治維新を迎えた。明治維新後、明治政府の命令により桜井氏(さくらいし)と改めて、後に子爵となった。
兵庫県尼崎市の桜井神社に、信定から忠興までが祀られている。
この他、松平忠頼の三男の忠勝は親族の久松松平定勝の養子となり、後に徳川頼宣の家臣となり、その家統は紀州藩の高家となる。この家は徳川家茂の生母である実成院の生家である。
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