漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 



 ファンシー・ウィローズが大人になって、結婚し、それから夫を戦争で失い、政府のために大型のトラックを運転して、愛国心から再び結婚した時、彼女は二番目の夫であるオゥエン・ウォルフ=サンダースに言った。
 「信じらんないくらい自主性に欠けた女性たちが昔はいたのよ!ローリー叔母さんを見て。おじいさんが年に五百ポンド残して死んだ時、叔母さんはもうすぐ三十歳だったけど、それでもわたしの父母と住むよりもマシな身の振り方を見つけられなくて、それからずっとそこに住んでんの」
 「独身女性が置かれたは立場は、二十年前にはずいぶん違ったんだよ」とウォルフ=サンダースは答えた。「きみもよく知ってる未亡人だろ、それからfeme couverte(愛人?)とか、そんなのしかなかったんだ」
 1902年に於いてさえ、十分にお金をもっていて、結婚の望みの薄いウィローズ嬢が、何か芸術に打ち込んだり、自由な生き方を謳歌したりするために、一人暮らしをしようとしないのはなぜなんだろうと考える、進取的な考え方を持った人も一部存在したのだ。しかしそのようなことは、ローラの血縁者には誰一人として望めなかった。父親が死んで、彼らは当然のように、ローラは兄弟の誰かの家族になるべきだと考えた。そしてローラは、まるで自分が遺言の中にひっそりと紛れ込んだ遺産の一つであるかのように感じていて、皆が一番いいと考えることを受け入れることを良しとした。
 そうした考え方は古風だが、ウィローズ家は保守的な一家だったし、古風な考え方を守った。偏屈さのせいではなく、好みの問題で、彼らはこれまでと同じやり方を貫いた。彼らはベッドで眠り、椅子に座ったが、その快適さが、ほんの少し、自分たちの先祖の趣味の良さに対する敬意のもととなった。選びぬかれた家具と吟味されたワインが、しっかりと管理されているのを見ながら、彼らはそこにも同じ精選という考え方が貫かれているのだと信じた。節度、落ち着いた話し方、精神的余裕と均整の取れた質素さは、祖先の模範が彼らに強いた、行動の規範だった。
 こうした規範を守ることで、ウィローズ家の誰一人として、高い地位にまで上り詰めた人物はいなかった。もしかしたら、三世代前のサロメ叔母が、最も名声に近づいた人物だったかもしれない。サロメ大叔母の作るパフペーストが、ジョージ三世王に褒め称えられたというのが、この慎み深い一家の自慢だった。そしてサロメ大叔母の祈祷書は、チャールズ殉教王による礼拝とロイヤルファミリーの復興、そしてハノーヴァー家の繁栄――公平な信心深さの好例である――とともに、常に一家の長の妻によって使用された。サロメは、 a Canon of Salisbury(ソールズベリー修道会の会員のひとり?)と結婚していたが、刺繍のはいった、仔ヤギの革で出来た手袋を脱いで、袖をまくりあげ、台所に入って、彼の陛下の食事のために、ベニスレースの襞を粉がたくさん入ったのボールの上に垂らしながら、パテを混ぜた。彼女は王の臣下であり、敬虔な女性信徒であり、申し分のない主婦であり、そして、ウィローズ家は彼女のことを大いに誇りに思っていた。彼女の父親であるタイタスは、インド諸国へと航海したことがあって、緑色のインコを連れて帰ってきたが、それがドーセット州では初めてのインコだった。インコはラタフィーと名付けられ、十五年生きた。インコは死んだあと、剥製にされた。そしていつもの輪の上に生前と同じように止まらされ、食器棚のコーニスから、揺れながら、ウィローズ家を四世代にわたってそのガラスの瞳で見つめていた。十九世紀の初め頃に、片方の目が落ちて、なくなってしまった。代わりの目は少し大きかったが、光沢も表現力にも劣っていた。このラタフィーは、どちらかといえばいやらしい目つきをしていたが、彼に注がれていた尊敬の念を失うことはなかった。ささやかながら、この鳥は州の歴史に刻まれ、家族はそれによって広く知られて、インコには壁龕が与えられた。
 食器棚の脇、ラタフィーの下には、エマのハープが置かれていたが、その緑のハープには、渦巻き模様の金箔と、ダビデ風のアカンサス模様の飾りがあしらわれていた。ローラが幼かった頃、彼女はときどき誰もいない居間にそっと忍び込み、まだ切れていない弦をかき鳴らしたものだった。弦は憂いを帯びた、調子外れの音で応え、ローラはエマの幽霊が、自分と同じようにそっと音もたてずに誰もいない居間に忍び込み、冷たい指先で音楽を奏でるために戻ってきたのだという心地のよい恐怖に浸った。だが、エマは優しい幽霊だった。エマは消耗性の疾患で死んだが、彼女の遺体がそっと握られた手のひらの下のユキノハナのひと束とともに横たわっていたとき、その髪のひと房が刈り取られ、白いサテンで詰物をされた墓の上に枝を伸ばす柳の木の絵の中に織り込まれた。「あれが」とローラの母は言った。「あなたの偉大なるエマ叔母さんの大事な遺品よ」そしてローラは、たった独りで死んだ気の毒な若い女性のことを可哀想に思ったが、それが彼女に、自分の血族はみんな不幸な死を迎える運命にあるのだと思わせた。
 1818年に生まれた、ローラの祖父でありエマの甥でもあるヘンリーは、二十四歳にしかならない時に、父とまだ結婚していなかった兄がどちらも天然痘で二週間もしないうちに相次いで亡くなってしまったので、ウィローズ家の家長になった。ヘンリーは若かったので、放浪癖と伝統的な体質に対する反骨精神を見せたが、幸運なことに、彼は自分自身の生き方のできる、紳士階級の下の息子としての身分を得た。彼はこの自由を良いことに、ウエールズの女性と結婚し、父が彼のために手にいれていた、共同経営のビール会社のあるヨービルの近郊に落ち着いた。一家の長となることで、ヘンリーが、ウェールズ人の妻とビール醸造所は無理でも、少なくともサマセットぐらいは諦めて、自分の生まれ育った場所へと戻ってくることを期待されたのも、自然なことだった。しかし、彼はそうはしなかった。彼は、結婚生活を送った最初の年に過ごした場所の隣人たちと付き合うようになった。ヘンリーが、自分の靴を教会に持ってきていた(訳注:貧しくて、教会に靴を売りにきたという意味?)、マザー・シプトン(訳注:15世紀頃の、英国の伝説的な預言者の女性)のように背の高い帽子を被ったウェールズ人の女性に求婚したことに対して、彼の叔父のアドミラルが思慮に欠いた中傷をしたことが心にひっかかり、彼を自分の血族から遠ざけることとなったのだ。そして――最も大きな理由は――彼が長年欲しがっていた、小さいがしっかりとした邸宅、レディ・プレイス――もし自分に十分な財産があったなら、ぜひ妻をそこの女主人にしたいと思っていた――が、ちょうど市場に出たのだ。長い年月にわたってドーセット州の家をずっと頑固に守り続けていたウィローズ一族は、ついに、州境を超えて家を移った。古い家は売りに出されて、家具や一家の財産はレディ・プレイスに運び込まれた。エマのハープの弦は何本か切れて、ラタフィーの尾羽根は少し抜け落ち、そして福音主義者として育てられたウィローズ夫人は、サロメの祈祷書の中に見つけた眉を顰めたくなるような内容のせいで、日曜日には頭を抱えたくなることがあった(訳注:カトリックとプロテスタントの教義の差を言っている?)。だがウィローズ家の伝統は、概してその引っ越しにも上手く耐えた。テーブルと椅子、そしてキャビネットは、以前と同じような位置関係を持って据え付けられた。絵は新しい壁に、同じような順番で掛けられた。ドーセット州の丘はまだ窓から見えていたが、今では北向きの窓からではなく、南向きの窓から見えた。さらに、実際には伝統的ではないビール醸造所は、すぐに風雨にさらされて、ウィローズ一族の生活様式の一部と区別がつかなくなった。

 ヘンリー・ウィローズは、三人の息子と、四人の娘を儲けていた。一番年長のエヴァラードは、またいとこのフランシス・ド・アーフェイと結婚した。彼女はさらにいくつか、ウィローズ一族の財産をサマセットの家に持ってきた。ひと揃いのガーネット。陶磁器の愛好家である提督から遺贈された、柔らかいもみ革(訳注:研磨用?)と金の茶器。それは、ウースター、ミントン、それにオリエンタルとともに、すべての彼の姪とその子供たちに贈られたものだった。そしてエマの下の兄であるタイタスが、療養のために旅行したローマで買ってきた、イタリアの画家の手による油絵が二枚。彼女はエヴァラードの三人の子供たちを産んだ。ヘンリーは1867年に生まれた。ジェイムズは1869年に生まれた。そしてローラは、1874年に生まれた。
 ヘンリーの誕生に、エヴァラードは息子の成人したときに備えて、十二ダースのポートワインを備えた。エヴァラードは醸造所を誇りにしていたので、ビールはイギリス紳士のあらゆる階級の人々にとってふさわしい飲み物であり、外国のワインよりもすばらしいと主張した。だが彼はこの主張を、ポートワインとシェリー酒にまでは広げて適用しなかったのだ。彼が特に毛嫌いしていたのは、クラレット(訳注:フランス産の赤ワイン)だった。
 さらに十二ダースのポートワインが、ジェイムズのために備蓄され、それで終わったかのように思われた。
 エヴァラードは女性というものを愛していた。彼は娘をとても欲しがっており、娘が生まれた時には、ほとんど諦めかけていたものだったから、どの子供が生まれた時よりも可愛がった。この誕生の喜びは、しかしながら、それほどたっぷりと表現できなかった。彼はローラのためのポートワインを備えることができなかった。しかしついに、彼はその難題を解決する方法を思いついた。彼は禿げてきたという不可解で不十分な名目でロンドンへと上京し、小粒で粒の揃った真珠でできた、赤ちゃんの首にぴったりと合う小さな数珠を持って帰ってきた。毎年、と彼は説明した――そのネックレスは、娘の最初の舞踏会で、成長した若い女性になった娘の首に飾られるときまで、伸ばしてゆくことができるのだ。その舞踏会は、と彼はさらに続けた――冬に行われなければならない、なぜなら、ローラがアーミン毛皮を着飾っている姿が見たいからだ。「ねえ、あなた」とウィローズ夫人は言った。「かわいそうに、娘が英王国護衛兵のように見えるでしょうね」しかし、エヴァラードは譲らなかった。彼が少年の頃に知っていた、詰物をしたオコジョの剥製がまだ彼の頭の中では魅惑的なお嬢様であったが、オコジョは清らかで艶があり、長い首の上に、小さな格好のよい頭がとても美しく、バランスよく乗っていた。「イタチですって!」と妻は叫んだ。「エヴァラード、あなた、ミンクを愛してるっていうわけ?」
 ローラは他の普通の新生児たちとは違って、少しも赤くなかった。エヴァラードにとって、彼女は夢のオコジョが現実に姿を現したようなものだった。彼は、赤ん坊を見つめた瞬間からその女性らしさにメロメロになった。「おお、なんてすてきな娘なんだ!」十二月の凍てつくような朝の鋭い太陽の光の中、ショールに包まれ、産声を上げながら、彼の前に最初にローラが姿を現した時、エヴァラードは叫んだ。雪解けから三日経って、ウィローズ氏は猟犬をつれて猟に出た。だが、彼は最初の狩りを終えたあと、戻ってきた。「雌ギツネだった」と彼は言った。「とてもかわいい、若い雌ギツネだ。それで、娘を思い出した。戻って、娘がどんなふうにしているのかを見ようと思ったんだ。ほら、これが狐のしっぽだよ」

"LOLLY WILLOWES "
Sylvia Townsend Warner
(シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナー)
翻訳 shigeyuki




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