漂着の浜辺から
囁きのような呟き。
 




「長いお別れ」 レイモンド・チャンドラー著  清水俊二訳
ハヤカワ・ミステリ文庫 早川書房刊

を読む。

 もともとミステリーはあまり読んで来なかったので、この余りに有名な作品も、初読。村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」とどちらを読もうかと少し迷ったが、もともとはこちらで多くのファンを獲得し、定着していたので、清水訳を選んだ。
 名作の誉が高い作品だけあって、さすがに面白い。ストーリーももちろんいいのだけれど、やはり文体がなんと言っても良い。このクールで、少しユーモラスで、けれどもどこか切ない語り口は、確かに中毒性がありそう。小説というのは文章であると、改めて思い出させてくれる。
 今回、ぼくは清水訳を読んだが、「ロング・グッドバイ」のタイトルでこの作品を訳した村上春樹は、この作品への愛着を公言している。それは、一読して、ものすごく納得がいった。初めて村上春樹の「風の歌を聴け」を読んだとき、「これはカート・ヴォネガットだな」と思ったし、「1973年のピンボール」を読んだ時には、「リチャード・ブローティガンっぽい」と思ったが、「羊をめぐる冒険」と「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と「ダンス・ダンス・ダンス」は、間違いなくチャンドラーだと、この本を読み終わった今ではそう思う。内容ではなく、もちろん文体の話をしているのである。だから村上春樹がこれを訳すというのは、ごく自然な成り行きだったのかもしれない。
 しかし、だからこそこの作品は、清水訳で読んでよかったと思う。ネットでの評価をみると、村上訳の方は、かなり丁寧で正確な訳らしいし(なんと言っても、柴田元幸さんがバックについているのだ)、清水訳ではなぜか抜け落ちている部分がきちんと訳されているらしい。そもそも、村上さんがこの作品を訳そうと思ったのは、清水訳では欠落している部分があるからだともいう。これもネットで仕入れた知識なのだが、有名なセリフの訳が、どうも村上訳のほうが良さそうである。特に感じたのは、「さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ」という清水訳が、村上訳では「さよならをいうのは、少しだけ死ぬことだ」となっていること、それからクライマックスでgoodbyeとso longを使い分けて訳しているという点。これはどちらも、村上訳のほうがしっくりくる。特に後者は、この物語全体に影響を与えるほど、非常に重要な気がする。だから、これから初めて「The Long Goodbye」を読もうという人には、村上訳は決して悪くないのだろうけれど、ぼくはもともと村上春樹の作品を結構読んでいるので、もし「ロング・グッドバイ」の方を読んでいたとしたら、なんだか村上作品のような気がしてしまいそうで、きちんと楽しめなかったかもしれない。





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