あなたが泣いている
何でわたしだけがと思って泣いている
が
泣いているのはあなただけじゃない
だれかがどこかで泣いている
それはそれぞれの理由
それはそれぞれの立場
それはそれぞれの泣き方
それはそれぞれの涙の重さ
いつ泣きやむかはわからない
泣きやんでも引きずるかもしれない
ただきっと
そうきっと
その涙の向こうに
虹色の笑顔できらめいている
あなたがいるのでしょう
(2014年 5月 発表)
あなたが泣いている
何でわたしだけがと思って泣いている
が
泣いているのはあなただけじゃない
だれかがどこかで泣いている
それはそれぞれの理由
それはそれぞれの立場
それはそれぞれの泣き方
それはそれぞれの涙の重さ
いつ泣きやむかはわからない
泣きやんでも引きずるかもしれない
ただきっと
そうきっと
その涙の向こうに
虹色の笑顔できらめいている
あなたがいるのでしょう
(2014年 5月 発表)
今日も日々というフェンスの中で
作り笑いを浮かべて生きる人の群れ
もう慣れたといえば慣れたのか
まだ慣れないといえば慣れないのか
先の見えないこの世界の上
いつかは死んで旅立つこの世界の上から
何が見えた
まだ何も見えないか
なら見えるまで歩き続ければいい
作り笑いが疲れたのなら
どうするかは自分次第
心を解き放てば
頑丈なフェンスだって
壊し崩せる
当たり前に繰り返されてきた
この領域での日々
植えつけられてきた思考なんて
もともとは幻想なのだから
生きる意味は自分の中に眠っている
何かや誰かに頼ってみても
しょせんは自分が気づかなきゃ
開かれない道
閉ざされた自由
たまにゃ空でも見上げて
ゆったりと見上げて
時を忘れ
日々を忘れ
ああー ∞
人は ∞
誰でも ∞
(2014年 5月 発表)
この空間の静寂(せいじゃく)
みごとにシャットアウトされた外界の音
鳥たちの透き通ったさえずり
わざとらしいほどこの情景によく似合う
竹林に囲まれた大緑の息吹(いぶき)
一本の道が古(いにしえ)へと導いて
ぼくらは今この領域で
癒(いや)され
せいじょう(正常・清浄)となる
(2014年 5月 京都 大徳寺 高桐院にて撮影)
初めての四国遍路から
もう10日くらい過ぎただろうか
少しは慣れてはきたが
1日約20キロの歩きは私にはかなりきつい
長い石段 山道 延々と続く道
全身の疲れ ふしぶしの痛み
日々降り積もってゆく
でもそれが遍路というものであろう
充実感も生命の鼓動も
絶大なる感動となって返ってくる
そんなおり
80歳のじいさんに出会った
*菅笠(すげがさ)ではなく登山帽をかぶり
小柄ではあるが
背すじが伸びていて
ガッチリとしている
とても80歳には見えない
60歳を過ぎてから山登りを始め・・・・・・・どうりで若い
最近遍路に興味を持ち
初めて来たという部分では同じである
しばらくいっしょに歩いていたが
私がペースダウン
そのじいさんはそのままどんどん遠ざかり
やがて見えなくなった
遍路では自分のペースが当たり前
人生のペースがそれぞれ違うように
ただ中年の私が80歳のじいさんに
たやすく先を行かれてしまったのがどうにも情けない
負けん気がわき上がってくるとともに
うれしさがこみ上げてくる
80歳でもあんなに元気なんだ
なんだかじいさんからエネルギーをもらった私は
新たに歩き始める
あのじいさんを目指して
元気な80歳?を目指して
*菅笠・・・・・・・日光や雨をしのぐ巡礼の実用品
(2014年 5月 発表)