たろうくん(太郎)のつぶやき

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今書いている詩(1282)「その腕に」

2016-09-24 18:20:15 | 
   今書いている詩(1282) 「その腕に」
                           清水太郎
 
 乾いているのは
 貴方の心か
 ワタシのココロか

 それとも
 あの木下で
 乾いている
 敷石たちか

 秋の長雨が
 貴方を
 ワタシを
 大地を
 濡らし続ける

 濡れたくない
 貴方を
 ワタシを
 守る傘が
 欲しい
 ダケレドモ
 大地には
 広すぎる

 日陰の好きな
 ヒトも
 華も
 アルのさ
 厚い雲は
 日傘かなぁ

 知っているかい
 地球を守ろうと
 あなた(神)が
 愛のワンタッチ傘を
 開いているのを
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今書いている詩(1281)「意識の旗」

2016-09-20 11:20:26 | 
今書いている詩(1281) 「夢の旗」
                        清水太郎

夢の中で
意識が
つぶやく

水平板の上に
並んだ
写真に
触れてごらん

人差し指で
ツンと
突く

写真は
パッと
消えて
目が覚める

夢は
ノーコントロール
流されるままの
ワタシ

現実の
世界でも
自分を
ようやく
コントロール
しているつもりだが

何時か
ある日突然に
自分を
忘れる日が
くる

幸せかどうかも
わからない
私が
イル
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エッセイ「続々続々じぃちゃんのお榊」

2016-09-08 12:48:55 | エッセイ
エッセイ「続々続々じぃちゃんのお榊」
                           清水太郎
 宮の前にある「たいらや」で、国産のお榊を2度ほど買いました。1対が300円に税です、このお榊が良いのは、私の神棚の入れ物にちょうど良い大きさなのです。夏場にお水が腐り、匂うので困っていました。花器に5円を入れてみたら、解決しました。この時期は、湿度が高いので盛り塩が固まってしまいます。毎朝、浄められたらと、娘の玄関と私の玄関に蒔いています。お米は、次の日に炊き込みます。お榊とお酒は、月に2度代えています。朝起きて、マスクをして行います。次にダスキンモップで、家中の床を拭い、仏壇に向かうのです。それから食事なのです、洋子さんをパート先に送り、帰りに八幡神社への参拝が日課となっています。
クーラーをかけて、パパの部屋以外に掃除機をかけます。11時近くまでかかるときもあります、ハウスダストを無くすのだと頑張っているのです。娘は喘息でした、部屋中にホコリが舞っていたのです。孫たちも鼻炎や喘息になりかけています、私たちが同居をする前に、ハウスダストに対する意識が低かったように思います。私も最初は懸命に掃除機をかけました、でも改善する様子がありません。調べました、掃除機をかける前に、夜中に床に落ちた誇りを拭ってから掃除機をかけるのだと知りました。時には、100円ショップで買い求めた「極厚・パワフル除菌シート」で使い床を拭きます。雨で湿度が高いので、晴れた日には、布団やタオルケットにヌイグルミ等を干すのです。玄関のタイルも刷毛で誇りを払うのですが、最近忘れがちです。
私は家中を綺麗にする、整頓するのが役目と思っています。何故って、私の部屋に立派な神棚があるのです。洋子さんの部屋にはご先祖の仏壇が、あるのです。皆さん、仏さま・神さまは汚れた家に住まわれて、嬉しいと思いますか?家がオンボロでも綺麗に掃除され、継ぎ剥ぎの着物でも汚れていなければ、仏さま・神さまは寄り添うのです。そして、一番大事なことは「ありがとうございます」の感謝の心を持つことです。私は清水家・志村家・上田家のご先祖の血筋を受け継ぐ、加藤家の孫たちの未来のために、祈っているのです。結果が出るのは、多分もっともっと先、私が天の国に行ってからでしょう。
私利・私欲からです、でもね「世界中の子供たちに反原発反戦で笑顔を!」の旗も掲げています。経文も祝詞も唱えない私です!
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今書いている詩(12809 「あかし」

2016-09-07 11:07:21 | 
    今書いている詩(1280) 「あかし」

清水太郎
 夜中に
 スタスタと
 素足で
 貴方は 
 歩いてくる
 
 パパは未だ
 帰らないのかぁ~と
 見ながら
 ボクの小部屋の
 スイッチを
 押す

 ボクの小部屋には
 窓がない
 だからボクが
 付いてる
 暗いよ
 デモ
 廻り続けている

 貴方の心の
 エレキテルと同じ
 エネルギーで
 世界中と
 繋がっている

 神さまの
 シグナルも
 銅線から
 送られてくる

 貴方が
 ボクの前に立つ
 換気・換気と
 ボクはグルグル
 回ってる

 貴方を
 引き留めようと 
 歓喜・歓喜と
 叫ぶ
 息を吸い込む
 悪気も吸い込む
 
 ノン・ノン
 ボクは
 サイボーグ
 じゃない

 貴方は
 70年も
 回り続けてるね
 心のカーテンに穴
 開いていませんか
 心をセーブして
 運転してますか

 オ・ヤ・ス・ミ・ナ・サ・イ
 ワ・タ・シ・ノ
 タ・ロ・ウ・サ・ン

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エッセイ「おじいさんの石臼⑥」

2016-09-05 11:13:12 | エッセイ
エッセイ「おじいさんの石臼⑥」
清水太郎
 毎月の29日は、「憎い日」なのです。母と祖母に父の兄嫁の3人の月命日になっています。前の日の28日に、板橋へ行く予定でした。従姉妹の都合で29日になりました、洋子さんをパート先まで送って帰ると慌てて出かけました。
 汐留のパナソニックビルで「ミケランジェロの彫刻展」を先に見てから、板橋区役所へ行こうと従姉と決めていたのです。汐留駅の構内で落ち合おうと決めていたのですが、見つからないので、パナソニックビルの近くの改札に着くと携帯に着信です。「何処にいるの?」「探したが分からなかったので改札にいる」と言って戻りました。遠くから従姉が、携帯を耳に当てている姿を見つけて手をあげました。パナソニックビルには前にも来た事があると言ってました、外に出るとビルの谷底でした。二人でアッチかコッチかなと迷いながらビルへ向かいました、エレベーターに乗り目的の階に着き降りると、目の前にビルが立ち並んでいたのです。
従姉はパステル画のセミプロなのです、同居していた画家の罇龍一郎さんが亡くなった後に、銀座の画廊で師弟展として個展を2度ほど開催しています。妹も油絵を描いてた時期があります、その姪も絵が好きで葉書に書いた絵?を投稿していたようです。私も画家になろうかと思ったのですが、色弱のために諦めてしまいました。しかし、ゴッホや有名な画家たちに色神に異常のある事を知りました。絵を描いて暮らしてゆくことは難しいです、詩人も同じです。
板橋区役所には、叔父の戸籍を取得する為にです。厚生省の復員記録を開示請求するには叔父が亡くなっているという証明が要るとのことです、私は直系親族で3親等なので辛うじて戸籍が取れるようなのです。免許証・父と叔父の兄弟関係の戸籍を戸籍係の人に提示しました、それでも待たされました。「旧軍人軍属の個人情報開示請求書」のコピーを持っていったので、「何に使うのですか?」との欄に書き込むことでようやく取得できました。その他に祖父が王子から来て亡くなった住所の再確認と、それ以前に滝野川から板橋に来た最初の住所の確認もしたかったのです、亡くなった「長後町」での再確認は出来たのですが、下板橋の住所は時間切れで後にすることになりました。
従姉の部屋で話しているうちに、従姉の父(私の父の兄)が20歳ころから25歳ころまで家に寄り付かずにいた時の話を聞きました。王子辺の総会屋の下で「今で言えばチンピラよね?」と従姉は言っていました、「2号さんの処へ出入りしたり、カフェでチャールストンを踊ったりしたそうよ!笑っちゃうわね」です。その総会屋が出す新聞を印刷所に持ち込んで、所々へ配ってお金をもらっていたそうです。そこで出会ったのが、当時の共産党の若い人で「このような仕事は辞めたほうが良いよ!」と会うたびに言われたらしいです。総会屋の手下?を辞めるきっかけは、数人の仲間と三菱銀行の総会に行き刃物沙汰になったそうです。一緒にいた仲間で役者のような男の顔が切られて事件になったそうです。それから伯父は、その印刷所に住み込みで働き印刷技術を覚えたそうです。伯父が死ぬまで共産党に投票していたのは、その様な訳からなのだと思います。その共産党の人は80歳で亡くなり新聞にも報道されたと言っていました。父のすぐ下の弟は頭が良くて、岩倉を出たそうです。志村坂下で自転車屋をしていたのもこの叔父で、その時に父は「俺が自転車に入れるポンプの止め口を考案した」と言っていました。「坂下へ馬に乗った中尉がよく来たらしい、岩倉の時の同級生で、叔父ではなくて父に会いに来たらしいの、父が馬に乗りその後を、腰のサーベルをチャラチャラさせながら追いかけていたそうよ」と従姉が話してくれた。「どうも、岩倉の時に隣で試験の答案を見せろと足でつついていたらしいよ、大男だが頭はイマイチラシカッタノネ!」。従姉の伯父は人に好かれる性格で優しい人でした。「鹿沼市役所に勤めたころに、米兵相手のラブレターを書けたので田舎では有名人だったらしいよ」。その当時に叔父は英語の読み書きが出来たのです。伯父も達筆でしたが、叔父はそれ以上でした。父の兄弟は頭が良かったようです、父と鹿沼の叔父は賭け事が好きな兄弟だったのです。父はこの弟が好きで死ぬときに真っ先に会いに行ったのです、電話で私が父の死を知らせると「さっき八王子が来た」とベッドの中で言ったそうです。一番下の叔父については、エッセイ「繁吉おいじさんの戦」(仮題)で書きたいと思っています。
京王八王子駅のバス停から電話すると「早かったわね、家で食べるのね」と洋子さん!「孫たちが待っている」と思いながら、バスの揺れに身体を委ねました。
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