アンドレ神父と銀ブラ
2006年05月02日
カテゴリー: Weblog
かつてカトリック上福岡教会にはコルベジェというフランス人の神父がいて、埼玉大学の教授であった渡辺高明先生と一緒にアンティオキアのイグナチオという2世紀初頭の殉教者の書簡集を翻訳して出版された。イグナチオといえばイエズス会の創立者であるロヨラのイグナチオが名高く、クリスマス・イヴのデートコースとして有名なカトリック麹町教会は聖イグナチオ教会として知られるが、この教会はイエズス会経営の上智大学の隣にあって主任司祭助任司祭みなイエズス会修道士であり、彼らの会の源流たる16世紀のバスク人だかナヴァラ人だかのロヨラ城の主の名を嗣いでいるわけだが、アンティオキアのイグナチオの方がこの名の元祖である。
コルベジェ神父に会いにゆくとまた別のフランス人が現れ、私はザビエルと申します、とえらく丁寧な日本語で挨拶する。知らぬ間にコルベジェ神父は天国へ行ってしまおうとしていたのである。このザビエル神父はなんと私が行くことになる大学を出た人であった。アンジュー地方アンジェ出身のこの人はいつのまにか日本国民となり御前ザビエルというのが日本国における公的な名前である。なんでも御前は<おまえ>ではなく<みさき>とよみ、神のみまえにいる、という意味だそうである。日本で働いている外国人宣教師たちは日本国籍を取得し、日本名をもっている人も多い。アメリカ人ウィリアム・エヴァレット神父は小山信夫になるし、フランス貴族の末裔のフランソワ・ド・フロモン神父は父路門という苗字にしてしまった。父(なる神)への路の門たるべし、という気概であろうか。
ある夏ザビエル神父に会いにゆくと、また別のフランス人神父が現れ、ザビエルはヴァカンス中だ、(en vacances オン・ヴァカンス)という。自分は留守番のアンドレ神父だ、上がれ、というんで、ずかずか上がって、デカルトについて雑談すると、Ah! Descartes! Mauvais philosophe! ああ、デカルトか!ろくでもない哲学者やな!などとぶっきらぼうに言うので、今度はちょうど読んだところのボナヴェンテューラ(モントリオール地下鉄にはなんとBonaventure駅がある。長距離列車発着のモントリオール中央駅の最寄り地下鉄駅である。フランス語ではボナヴァンテュールと発音する。そもそもイタリア人の名前である。)に話頭を転ずると、Ah!Saint Bonaventure! Mauvais philosophe, encore! ああ、聖ボナヴェンテューラ、あいつもろくな哲学者じゃあらへんな!などと言うんで、Mais il est canonise, n’est-ce pas?そやかてあのひと列聖されとるやないですか?!と抗弁するとC’est le probleme du coeur!哲学がわるうともこころが清きゃいいんじゃ!という。それでアンドレ神父はトマス・アクイナスを勉強するようにと私に勧め、今日は銀座ブラ(すなわち銀ブラ)や!と言って銀座を散歩して楽しんで来た話になった。まさにワインにシンリありギンブラにテツガクありである。
東北新幹線に乗ってケベック人レイモン・ラトウール神父が東京に現れたので、アンドレ神父のみ教えに従い、白百合マークの銀座ダロワイヨでガトーの宴をはった。スノービッシュな有閑マダムが多い銀座のフランス菓子屋さんではフランス語で会話する我々への待遇はすこぶるよく、スノービッシュな人物の悪口が多いくせに自身多分にスノービッシュである我々は、自分の支配する領域にいるがごとく、ああ!世界で哲学青年が淑女はたまた乙女に熱愛されるはただパリのみぞ!などと気炎を上げつつラ・マルセイエーズを歌いながら東京のシャンゼリゼたる銀座を闊歩するのである。われわれの大学の神学部長マリー・テレーズ・ナドー修道女さんは世界の果てのごときオタワの修道院暮らしとつまらない学部長事務に飽き飽きしているらしく、私に食堂で会うと、明日パリへ出発するわ!などと叫んだものだった。彼女はソルボンヌ卒のパリジェンヌなのである。
コルベジェ神父に会いにゆくとまた別のフランス人が現れ、私はザビエルと申します、とえらく丁寧な日本語で挨拶する。知らぬ間にコルベジェ神父は天国へ行ってしまおうとしていたのである。このザビエル神父はなんと私が行くことになる大学を出た人であった。アンジュー地方アンジェ出身のこの人はいつのまにか日本国民となり御前ザビエルというのが日本国における公的な名前である。なんでも御前は<おまえ>ではなく<みさき>とよみ、神のみまえにいる、という意味だそうである。日本で働いている外国人宣教師たちは日本国籍を取得し、日本名をもっている人も多い。アメリカ人ウィリアム・エヴァレット神父は小山信夫になるし、フランス貴族の末裔のフランソワ・ド・フロモン神父は父路門という苗字にしてしまった。父(なる神)への路の門たるべし、という気概であろうか。
ある夏ザビエル神父に会いにゆくと、また別のフランス人神父が現れ、ザビエルはヴァカンス中だ、(en vacances オン・ヴァカンス)という。自分は留守番のアンドレ神父だ、上がれ、というんで、ずかずか上がって、デカルトについて雑談すると、Ah! Descartes! Mauvais philosophe! ああ、デカルトか!ろくでもない哲学者やな!などとぶっきらぼうに言うので、今度はちょうど読んだところのボナヴェンテューラ(モントリオール地下鉄にはなんとBonaventure駅がある。長距離列車発着のモントリオール中央駅の最寄り地下鉄駅である。フランス語ではボナヴァンテュールと発音する。そもそもイタリア人の名前である。)に話頭を転ずると、Ah!Saint Bonaventure! Mauvais philosophe, encore! ああ、聖ボナヴェンテューラ、あいつもろくな哲学者じゃあらへんな!などと言うんで、Mais il est canonise, n’est-ce pas?そやかてあのひと列聖されとるやないですか?!と抗弁するとC’est le probleme du coeur!哲学がわるうともこころが清きゃいいんじゃ!という。それでアンドレ神父はトマス・アクイナスを勉強するようにと私に勧め、今日は銀座ブラ(すなわち銀ブラ)や!と言って銀座を散歩して楽しんで来た話になった。まさにワインにシンリありギンブラにテツガクありである。
東北新幹線に乗ってケベック人レイモン・ラトウール神父が東京に現れたので、アンドレ神父のみ教えに従い、白百合マークの銀座ダロワイヨでガトーの宴をはった。スノービッシュな有閑マダムが多い銀座のフランス菓子屋さんではフランス語で会話する我々への待遇はすこぶるよく、スノービッシュな人物の悪口が多いくせに自身多分にスノービッシュである我々は、自分の支配する領域にいるがごとく、ああ!世界で哲学青年が淑女はたまた乙女に熱愛されるはただパリのみぞ!などと気炎を上げつつラ・マルセイエーズを歌いながら東京のシャンゼリゼたる銀座を闊歩するのである。われわれの大学の神学部長マリー・テレーズ・ナドー修道女さんは世界の果てのごときオタワの修道院暮らしとつまらない学部長事務に飽き飽きしているらしく、私に食堂で会うと、明日パリへ出発するわ!などと叫んだものだった。彼女はソルボンヌ卒のパリジェンヌなのである。






父路門神父とは麹町にて会いました。偶然。15年前今の池長大司教の紹介にてリーゼンフーバー神父の講義に参加。この冬ようやく。