近代文明の弊[自分を見つめ]

無知で幸せな私が考える世の中

学習することとは

2017-05-05 23:08:28 | 日記
何かの学習を始めると新しい言葉が現れます。学習しようとする専門書は必ず専門用語で記述されています。その専門用語はなかなか分かり難いものです。初対面なので、新しい概念なので。
分からないまま専門書を我慢して読み進めます。理解したいという意欲があるから。するとだんだんその専門用語の意味が何となく理解できそうな気になります。多くの文脈でその言葉に接すると、ますますわかった気になります。それと同時にその専門書が何を伝えようとしているのかが伝わってきます。

幼児が言葉を覚えるときと同じだと思います。大人の言葉を聞き、状況と照らし合わせて理解を深めていく。たぶん多くの修正を行って自分の考えを作っていくのでしょう。多少時間はかかりますが。決して大人の言うことを丸暗記している訳ではないでしょう。
絵本のイヌと実物のイヌを同じイヌという言葉で表現できることはとんでもない凄いことです。丸暗記では不可能です。イヌには多くの種類があるが、ある一定の条件に当てはまるものがイヌである。その条件すべては言葉では表現できない。言葉の限界です。パターン認識、共通認識という不思議な了解です。

一度、読んで理解できなくても、再度、読めば何となく解る。もう一度読めばもっと解ってくる。幼児が体験しているのと同じ状況です。興味がなければそこで終わりです。読み続けることはないので筆者の意見・意思は伝わらない。
でも興味を持った人にはその書物だけでなく、ほかの同じ分類の専門書をも読み続けるでしょう。そして筆者の考えを超えた独自の考えを開発するでしょう。それが学習の姿でしょう。

学校で教師が説明している内容に興味がある人は理解を深めますが、そうでない人は興味ない話を強制的に聞かされている訳ですよね。これは虐待、人権蹂躙ではないのでしょうか? 子供たちに人権はないのでしょうか? 教育というのは一種の洗脳なのでしょう? 国政に都合の良い子供たちを育てるための。
国政の行政機関が教育内容を検閲するなんてもっての他。どんな洗脳をしたいんだろう。多様性がないと国は衰退するでしょう。現状のように。

小学生に円の面積を求める解を教えるべきでしょうか? 本当に円の面積の計算を小学生に理解させる気があるのでしょうか。こんな難しい問題を理解してもらわないと小学校授業に支障があるのでしょうか。『数列』とか『級数』とか『極限(極限値)』という考え方を習っていないと理解できないはずです。その先の微分積分の考えを導入すれば説明は簡単です。円周率は無限級数など、無限回の操作でないと表せません。こんなことを、表面的な公式だけを授けて何の役に立ちのでしょうか。小学生には役にたたないと思います(成人でも技術系以外では、そしてπはどういう方法で求められたかは興味を持っていない成人)。国際学力テストの評価が唯一の理由でしょう。

勉強したい人が勉強すればよい。学習したい人は学習すればよいと思います。勉強と学習は異なります。
棋士 藤井聡太四段は高校に進学するのでしょうかね。進学したら、先生は何をどう教えるのでしょうかね。日本が多様性を重んじる国になることを願っています。

体験することは大切なことです。読書で得られた知識を如何に現実と結びつけるかは体験によって変わります。体験に即して知識を咀嚼する訳です。経験が乏しければ理解も表面的でしょう。想像力も重要です。相手の立場を考えるのは想像力です。如何に経験を積み、知識を蓄えても想像力がなければあまり進歩はしないでしょう。
勉強という言葉は嫌いです。先生(先に生まれた人)のいうことを鵜呑みにして記憶する。記憶した度合いをテストされる。良し悪しは画一化した採点で評価される。こんな評価システムで個々の能力をどうやって正しく評価できるのでしょうか? 
学習すべきだと思っています。

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