故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.535 「新潟県護国神社」のお話。

2015年06月19日 | 日記

見学できるコーナーが豊富にある「新潟ふるさと村」でかなりの時間を取られたため、当初、予定していた「関屋分水展望台」での見学をカットし、私達は広大な松林に囲まれた「新潟県護国神社」へと向かった。神社正面の石で作られた大きな鳥居をくぐり、約200mもあるS字型にくねっている長い参道を歩き始めた。

 

「何故この参道は一直線になっていないのか?」と荒張さんに聞かれたが、私は答えることができなかった。参道の右側の松林を登ると新潟市出身で近代日本文学を代表する作家・坂口安吾の「ふるさとは語ることなし」と刻まれた石碑の前に到着した。私が子供の頃、この斜面を利用してスキーを楽しんだことを思い出した。

 

ここから約50mほど神社側に向かって歩くと、詩人で童謡作家である北原白秋の「すなやま」の碑が見えてきた。ここで荒張さんとこの歌を一緒に口ずさんだ。このあと拝殿の右側にある明治大学戦没学徒の「忠霊殿」を参拝した。大東亜戦争の際、学徒出陣をした明治大学の学生は2000名余とも3700名余とも言われている。

 

私は「新潟県護国神社」の立派な拝殿の前で、今回の旅の安全と世界平和を祈願した。 

 

鈴を鳴らす荒張さん。