スイス公文学園 (KLAS) を知りたい!

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Something

2017年01月28日 | 日記
前回の記事に添付した動画を編集している時、ふと思い出しました。
卒業生にも「No Music No Life」を体現している男がいるな、と。
連絡を取ってみたら、快くお話を聞かせてくれました。

2008年卒業(第16期生)の松田直人さんは、
本校卒業後、Hawaii Pacific Universityへ進学。
その後はJazz に関わったことのある人なら知らない人はいない、
ボストンの Berklee College of Musicへ!
現在は日本でプロのミュージシャンとして活躍されています。

在学中には、私のバンドでベースを弾いてもらったこともあります。
松田さんのようなミュージシャンと一緒にバンドをやったことがある、
という経験は今となっては、私の音楽活動の誇るべき過去ですね。
残念ながら、動画は残っていませんでしたので、
在学当時のメンバーで撮った写真を添付しておきます。
このバンド、動画で別の生徒と演奏していた「セロリ」を演っていたので、
バンド名は「Salad 2」でした(笑)



松田さんは、現在Instrumental Band ”Manhole New World” のBassistであり、
作曲やアートワークも担っておられます。
個人のワークではサポート・ミュージシャンや、
アイドル、劇伴等の作曲活動も行っておられます。
本人イチオシの Manhole New World のPV を添付しておきますね。



お話を伺いました。

− KLAS とは松田さんにとって、どんな所でしたか?
「最初は、海外のしかもスイスの山奥という環境に単純に不安が募りました。
当時は携帯電話も持っていけず、
親兄弟との連絡手段は文字化けする古いMacのメールのみでしたから。笑
未だに、渡航初日のあの図を忘れることはありません。

とは言うものの、今になって1番良かったなと思う点は「不便な場所」であるということです。
携帯電話も無く、24hのコンビニもなく、スーパーへ行くのに片道15分。
そんな中で多感な時期を過ごすと言うのは或る意味良かったんじゃないかなと思います。
創意工夫とは正にこれだった、と今はしっかりと噛みしめることが出来ます。
欲や物に溢れた都会での暮らしも体験したかった、とういのも正直な所ですが、
敢えて「不便な所」に身を投じたことによって、
そういった欲を総じて、日常のエネルギーへと昇華できたのではないかと感じています。」


− KLASで学び、経験したことが、今の自分にどう役立っていますか?
「KL生活の中で学んだ事は数え切れません。
自分は今、芸術の分野に携わっていますが、
現在の芸術活動に素晴らしい影響をもたらしていると思っています。

無論、異文化交流や英語等、アカデミックな分野での知識の拡大はさる事ながら、
西洋式の独特な建造物や、自然が作り出した物の造りの違い等、視覚から得る異文化。
あのランドスケープは未だに脳裏に深く刻み込まれています。
それまでの自分が持っていた価値観を遥かに超越した"何か"を感じざるを得ませんでした。
例えば日本の寺や神社等の歴史的建造物を海外の方が観た場合、
おそらく多くの方が驚かれると思います。
自分にとっては、そういった事がヨーロッパの建築物や町並みを通じて沢山体験できたと思います。

あれから9年もの月日が経とうとしています。

とにかく現場に行って、そこで得るものや感じるものは必ずあります。
「新品のスポンジ状態」で訪れて体験してこそ価値のある "何か"。
それはきっと大人になってしまってから、
旅行感覚で訪れることでは気付くことの出来ないものだと思います。
不思議なことに、卒業して離れてみて、
また更なる気付きへとその "何か" は成長し発展し続けています。
その ”何か” は、自分で選択した人生の礎となり特殊な経験値となって、
間違いなく蓄積されるのだと考えています。
こういった機会を与えてくれた先生にも感謝です。
きっとまた10年後は違う観点で "何か" について書き連ねているかもしれません。」

松田さんの言う ”何か”。
前回の記事で示したように、
松田さんはじめ生徒達と、彼らがスイスに滞在する3年の間一緒に音楽活動を行っている私には、
松田さんのおっしゃる "何か" を理解することができます。

いつか、「Manhole New World」を本校に招待し、
一緒にライブを行うことができれば、最高!
それが現在の私にとっての "何か" なのかも知れません。