発見館では年4回の企画展をしていることもあって、わたしたちのように枝下用水のなかにどっぷりはまっていないので、
外からみえる枝下用水をあれこれと指摘くださり、大変勉強になりました。
いま発見館では本多静雄展が開催中なのですが、本多のことを学ぼうと本多の著書を読んでいくなかで、
「枝下」のふりがなを「しだり」と書いていたのを、後の文章は「しだれ」に変えているとおっしゃいます。
私がまったく気づいていないことでした。
「枝下」って「しだり」と読むのが正しかったことを初めて知りました。
「枝下」が「技下」と書いてあって、誤植だなと思うことはこれまでにもありましたが
ふりがなには全く気づきませんでした。
ですが、なぜその誤った「しだれ」に変えてしまったのでしょう。
Kさんは「『月刊矢作川』の「座談会 清水鎮平伝」にもそのこと書いてありましたよね」とおっしゃいます。
Kさんがお帰りになってから『月刊矢作川』を探ってみると、こんなくだりが座談会の中にありました。
ーー 「枝下」は猿投町誌などには「しだり」と仮名が振ってあるし、そう発音する人も多いようですが、最近の役所の書類は全て「しだれ」と読ませていますね。
三宅 「しだり」が正しい。こんなことになったのは、名鉄電車の駅が「しだれ」とやってからですよ。」
(『月刊矢作川』「座談会清水鎮平伝」1978年11月、第20号、7ページ)
三河鉄道(現名鉄電車三河線)の枝下駅開通の年月は『枝下用水史』に載せたので確認してみると、昭和2(1927)年8月のことでした。「しだり」と地域の人たちは言っていたのに、駅名のふりがなに「しだれ」とふられたのがきっかけになって、いったいどのくらいで浸透したのかはわかりませんが、時間とともに「しだれ」になっていったようです。
同じような話を先日、竹村文化振興会に出かけた時にお聞きしました。いま豊田市立竹村小学校の近くに「竹村新池公園」という池のある公園がありますが、これも地元の方たちは「しんけ」と呼んでいた池だったそうです。ところが新池が公園になった時に漢字の看板が建ち、それで地元の人はこんな字を書くのかと知ったといいます。いまでは誰もが「しんいけ」です。
こんなに枝下用水に向き合っているつもりでも、こんなに灯台下暗しのことがあるとはと驚きました。
打ち合わせは順調に進み、来月の打ち合わせまでにあれこれとやるべきことも決まりました。
資料室は枝下川神社社務所にあります。帰りには枝下川神社にお参りしてくださいました。
いい仕事はいい仲間から。これから企画展まで、積極的にわたしたちの活動にも関わってくださるとのこと、
互いに刺激しあい、いい仕事にしたいと思います。
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