その予兆

2011年04月19日 | Weblog
▼ぼくはふだん、おのれが顔を出しているテレビ番組は、ほとんど視ません。
 もともと日本の現状のテレビ番組に、胸のなかで確固たる疑問があるうえに、自分が話しているところなんて気持ちが悪い。

 したがって「TVタックル」も、あまり視ません。
 ぼくが視なかったTVタックルを、独研(独立総合研究所)の秘書さんが熱心に視てくれて、「社長の発言がほとんどカットでした」と憤激していたりして、ぼくはただ苦笑していました。
 ずっと以前、何年も前に、国内出張先のホテルで原稿に疲れてパソコンを離れ、ベッドの上で足を伸ばしてテレビをつけたら、たまたまTVタックルの始まりで、何気なく視ていました。
 するとぼくの発言が実際、きれいに、ほとんど全部と言っていいほど削られていて、ちょっと驚き、あぁ秘書さんの言っているのはこれなんだね、とまた大苦笑したことがありました。
 笑っている顔はなぜか画面にやたらと出てきて、テレビを視ていた人は『なぜ笑っているだけで発言しないのか』と思っちゃったのかなぁと考えたら、案の定、ぼくに不満をぶつけるメールや書き込みが、ずいぶんと来ました。
 テレビ番組に、ではなくて、「何で発言しないのか」とぼくを叱るメールが大半でした。
 ふひ。


▼ただし、TVタックルは1時間45分から2時間ぐらいたっぷり収録して、放送は実質40分ぐらいだから、参加(出演)されたひとは、ぼくに限らず、特定のひとを除いて「発言が放送されない」という感じを持たれていると思います。
 ぼくだけのことじゃ、ありませぬ。
 生放送でない限り、こうしたことはどんな番組でも、つきものです。


▼さて、ゆうべ4月18日夜のTVタックルは、珍しく、番組の最初から最後まで視ました。
 これも珍しく、まぁまぁまともな時間帯に自宅で食事していたこともあったし、福島原子力災害の現地に入った翌日の収録だったこともあります。

 そして、いちばん強く感じたのは、ぼくの発言うんぬんよりも、『このままでは日本国は、大震災のあとにずっと悪くなる』という深い危機感でした。

 ぼくは、初対面だった武田邦彦教授とのやりとりのなかで、「日本の自主資源を確保しようとして原子力発電に取り組んだのは断固、正しかった」と発言したうえで、しかし、その原子力発電にある巨大なリスクを正面から直視する姿勢も、克服する取り組みも失われていったことに問題がある、という趣旨の発言に続けたのでした。

 その後者の部分だけ、ちらりと片言(へんげん)がオンエアされて、前者の部分は全カットでした。
 前に述べたように、収録テープの全体の3分の1ぐらいしか放送できないのだから、番組としては、どこをどうカットして繋げるかに苦心惨憺しているわけで、カットされたからどうのこうのではなく、ぼくのつたない発言ではありますが、その真意がとらえられていない、そこに危機を感じます。
 この番組のカットぶりが間違っていると言うより、日本の社会全体が、そのような方向にどっと向かっていることが背景にあります。
 それこそが、このままでは大きな、深い問題に繋がります。

 原子力の灯火も活用して、独立国家としての日本の自前のエネルギーを確保しようとしたことは、無残な福島原子力災害があってなお、断固、正しい。
 しかし、そのほんらいの志が、あっという間に既得権益と化し、リスクは見ないことにして目をつぶり、地元対策の難しさに「とにかく安全だということにしよう」と、良心的な技術者すらおのれの胸中の問いかけを黙らせ、その積み重ねが、福島原子力災害を招いた、その事実を真っ直ぐにフェアに見なければなりません。

 それが、たとえば風力発電にしておけばよかったと、これまで一度も主権国家・日本の自前エネルギーの確保など考えたこともなかった、日本をそう好きでもないひとびとが声高に言う予兆を、ゆうべのタックルを視ていて、はっきりと感じました。
 昨日の発言者にそれがあったという話じゃない。
 社会の空気に寄り添うに敏感な日本のテレビ界が、そのような番組づくりに邁進していく気配を、たとえば、ぼくの発言をどのように切って、ぼくの発言意図とは違う方向に繋ぎあわせて編集していくか、おそらくは、ぼくの発言意図と根本的に違うことに気づかないままに、そのように編集していく。
 その気配を感じました。

 ぼくの発言の真意を意図的に曲げようとしたした編集では、決してない。
 番組をかばうのではない。意図的じゃないからこそ、よけいに根深いということです。


▼風力発電と太陽光発電、バイオマス発電について、数年前の段階で、デンマークやドイツを訪ね、政府の環境省の当局者たちと議論し、発電の現場を回り、技術者の証言を聞き、市民の声を聴き歩きました。

 たとえばデンマークの政府当局者のひとりは、駐日デンマーク大使館に勤務した経験を踏まえて、「青山さん、日本を風車だらけの国にしないでください。デンマークではどこへ行っても、どんな自然と触れあおうとしても、人工の風車が回って視界に入り、海にも人工の風車が林立し、たくさんの街や村で風車の発する低周波の音に苦しむ人がいる。日本のあの美しい自然に、風車を並べ過ぎたりしないように、日本の政府と国民に伝えてください。日本の人口と工業力に必要な電力を、もしも主として風力で賄おうと思ったら、山中にも風車を並べ立てて、その維持管理のために、山にも道をたくさん切り開かねばならない。デンマークは人口550万人なのに、風力でもバイオマスでも賄いきれず、スウェーデンの原子力でつくった電気を一部とはいえ買っている現実も実は、あります。あなたは自由な立場と聞いているから、こうやって会って、ありのままに話しました。どうぞ、私の証言を活かしてください」とおっしゃった。

 帰国後、ぼくは講演会で幾度か、この証言を、時間がないなかで紹介し、「風力も太陽光も太陽熱も活かして、さらには地熱なども活かして、原子力、火力、水力とも合わせて、ベストミックスの電源をつくり、火力には日本の史上初めての充実した自前資源であるメタンハイドレートを活用し、総合して、アメリカなどが握る国際メジャー石油資本や、それと結託した中東の独裁者たちに支配されない、主権国家日本、独立国家日本の自主エネルギーをつくりましょう」という趣旨の訴えを、聴衆のかたがたに、下手くそな講演なりに伝えてきました。

 そして原子力発電については、内包するリスクが巨大であることを直視し、その克服に取り組むことが不可欠だと、これは実務として問題提起してきましたが、非力にして、その取り組みは不充分なまま、福島原子力災害を迎えました。

 たとえば平成16年に、国民保護法が施行されたあと、若狭湾の原発にテロ攻撃があったというシナリオで、住民の避難と、警察・消防・自衛隊の対処を総合的に実働で試すという画期的な訓練が行われました。
 このとき、ぼくは独研の研究員たちと、現地で訓練効果を検証する実務に取り組みながら、「ようやくリスクに向かいあう日本になっていくのか」と感激したのでした。

 ところが、その後に、国民保護法の世界にも既得権益の側がどっと入ってくると、このような試みは影を潜めていきました。
 独研は、ほとんど関われないようになりました。

 今回の福島原子力災害が起きて、自治体の首脳陣や、原発立地の地元のひとびとが「非常事態が起きた時どうする、という訓練などやったことがない。安全ということになっていたから」と次々に話すのを聞いて、あらためて愕然としました。

 やはり既得権益の側は、あの若狭湾の試みを、これは意図して、萎(しぼ)ませていったのだということを痛感しました。
 原子力を日本の自主エネルギーの一角に据えるには、特有の巨大リスクを直視して、リスクを極小にしておくことが絶対不可欠なのに、無念です。


▼そして今、日本を好きでもないひとびとが、福島原子力災害を機に勢いづき、特にテレビの世界で、その一色になっていく気配、予兆を、ゆうべの放送に感じたのでした。
 日本国がやっと目覚めつつあった、その希望が、潰されてはならない。潰してはならない。
 その責任も、強く感じました。

 責めるのは、おのれ自身でなければならない。
 問うのは、おのれ自身でなければならない。





 正直、たった一日でも、ぽかんと休んでみたいですけどね。
 しかし、一日で体力が戻るわけもないし、耐えているうちに戻ってくるでしょう。
 尿路結石も、重症肺炎も、早期大腸癌も、腸閉塞も、すでに、いちばん苦しむ峠は越えた坂ではあるのですから。

 きょうの東京の夜明けは雨、それでも繁子(ポメラニアン)をすこしだけ散歩に連れて行きました。
 雨を窓からみながら繁子と目顔で話していると、すこし濡れても繁子は外の空気を味わったほうが、ストレス解消になると思いました。
 室内犬の繁子は、雨にちょっとびっくりしながら、まだ暗い商店街のひさしの下では元気いっぱいに駆けて、ぼくは嬉しかった。

 そして、被災地でぼくの回りに集まってきたわんこと猫を今朝も、思いました。

 まもなく、日本政府の情報当局者と早朝に会い、福島原子力災害をめぐって意見と情報を交換するために、出発です。
 繁子は、お留守番。


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