Our World Time

その後

2006年04月16日 | Weblog



▼ブログに「視聴者は、やはりよく観ている」を書き込んだあと、トレーニング・ジムへ。
 と言っても、ブログを書いたためにバーベルやダンベルを挙げる時間はなくなり、プールで短時間、泳いだだけになった。
 それでも、やらないよりは、いい。
 仮眠をとる代わりに無理にでも運動するようにしてから、すこしだけ疲労感がマシになったと思う。

 無心で泳いでいると、テレビ番組の件も、ごく自然にもう一度頭に浮かんでくる。さっきよりも無心に考えられる。

 泳いだあと、アウディ・クワトロ80を駆って首都高速に乗り、横田めぐみさんの夫が判明した件で、長い付きあいの情報源に会いに行く。
 会うと、めぐみさんの件のまえに、北朝鮮のつくった偽円札の話が延々と続き、すこし戸惑う。
 偽円札の件も極めて重大だけど、何かわけがあって横田めぐみさんのことから話をそらしているのかなぁ、とも思う。

 本題からそれて他の話をされても、耐えて、じっと耐えて、その話をよく聞いたうえで、本題にじりじりと迫っていくという情報収集・取材が、このごろすこし辛くなっている。できにくく、なっている。
 倦んでいる感じだ。

 この倦む感じは、たまに、やって来る。
 当然、休んで回復するのが王道だろうし、人になら間違いなくそれを勧めるけど、今のぼく自身にはできない。
 これだけ仕事を兼務すると、休んでも、そのツケが自分にどっと回ってくるだけだ。
 まぁ、さほど心配はしていない。
 とにもかくにも前へ、前のめりに進みつつ、自然に、元気と根気を回復していくだろうと思う。


▼帰宅して、パソコンを起動すると、この個人HPにどっとコメントが来ている。
 読んでいると、まず、みんなテレビにはやっぱり関心があるんだなぁと考えてしまう。
 ぼくの本業の一つは物書きだけど、書籍をはじめとする活字の世界の出来事なら、こんなに強い関心がたちどころに集まるだろうかと思った。

 もっとも、ぼくは活字の世界の現在と将来を、それほどには懸念していない。
 ひとびとにとってのオプションが広がっているだけだから。
 よいものを書けば、その書籍を読むことに貴重な人生の時間を使ってくれる人も、多い少ないは別にして、きっといてくれる。


▼そのHPへのコメントのなかで、自民党議員がイラクと間違って塗りつぶした白地図が、ヨルダンではなくてシリアだったという指摘を読んだときは、ひっくり返った。
 しかも、放送で「ヨルダンでもなくシリアです」というテロップが流れたという。

 収録のとき、スタジオのいちばん端だったぼくの席から、スタジオの中心に席があって、ぼくからもっとも遠かった自民党議員の持つ白地図を垣間見たときは、いま思い出しても、ヨルダンに見えた。
 イラクは塗られないまま白く残り、イラクの半分ぐらいの大きさのシリアも白く残り、シリアの下の、さらに小さいヨルダンを、議員は黒く塗りつぶしているように見えたけど、テロップが流れたのなら、ぼくの間違いだろう。
 それに視聴者が放送を見るときは、その白地図がアップで映るのだから、コメントを書き込んだひとが、きっと正しい。

 言い訳と思う人がきっといて、それは仕方のないことだけど、断じて言い訳じゃない。
 ふだん講演で白板に、中東諸国の国境線がいかに人工的に英仏によって作られていったかを図に書いて、そこから説き起こして話を進めている。
 シリアやヨルダンを知らない、などということはありません。
 スタジオで、自民党議員の持つ白地図まで距離があって、見間違えたと思う。

 だけども、間違ったことを書き込んだのは事実だから、ごめんなさい。
 それに、放送でテロップが流れたのにも、まったく気がつかなかった。
 このHPへの書き込みで、どなたかが「シリアの人も怒るよ」と書いているのには、自分の失敗なのに、笑いました。
 その通りです。


▼さて、プールで泳ぎながら、自然に頭に浮かんだことを、すこし書いておきたい。

 ぼくがたまに顔を出す番組で言うと、たとえばTVタックルで、ぼくの発言があまり使われないことは良くある。
 ほとんど使われないことも、何度かあった。
 めったにスタジオ収録には行かないのに、せっかくスタジオに行って発言したときでも、放送ではただ黙って座っているだけの姿しか流れない、という時もあって、ぼくの読者で放送を待っていた人から「がっかりしました」というメールをもらって申し訳なく思ったこともある。

 独研(※株式会社 独立総合研究所。ぼくが社長・兼・首席研究員を務めるシンクタンクです)の社長室にTVタックルのクルーがやって来てコメントを撮るときは、2時間ほどフルに発言を収録して、使われるのは2分ぐらいというのが、むしろ常態だ。

 だけども、ただの一度も文句を言ったことはない。
 文句を言おうとか、このHPに書き込もうとか、考えたことすらない。

 理由はとても、はっきりしている。
 明らかに、テレビ局の編集権の範囲内の編集だからだ。
 ぼくの発言を使わずとも、充分にディベートになっているし、結論の出ないディベートに終始はしていても、誰かの一人舞台になっていることはない。
 だから、ぼくの発言が使われなかったからと言って、文句を言おうという発想は起きない。
 独研でのコメント収録は、VTRを作成する上での全体のコンセプト作りに、ささやかには寄与しているようだから、コメントそのものの使用が1分、2分でも、かまわない。


 今回の「太田総理」の番組だけ、なぜ、これは捨て置けないと思ったか。
 太田総理の主張はとても、はっきりしている。
 その主張への賛否は別として、とにかく明確だ。
 だからこそ、太田総理の主張がくっきりと明確であるからこそ、強い反論もあったことを放送するほうがいいのじゃないだろうか。

 TVタックルと違って、この番組が太田総理の主張を押し出す番組であってもいい。
 それが番組の個性だし、どのような個性の番組にするかはテレビ局の裁量権だし、視聴者の公平な評価は、視聴率という形でも出てくるのだから。
 TVタックルであれなんであれ他の番組と、この番組が違っているからこそ制作する意味もあるのだろう。
 だから最終的には、太田総理の主張を押し出してもいい。

 しかし、その主張をめぐって、収録でせっかく議論が熱く盛りあがったのだから、それをほとんど黙殺する編集は、やはり、あまりにも限度を超えているのではないだろうか。


▼たとえば、収録の冒頭はこうだった。

 「首相候補に資格試験をやり、足切りをする」というマニフェストを解説するVTRがスタジオのモニターに流れ、さらに太田総理が趣旨を説き、「さぁ、どうですか」と振った。
 ぼくはすぐに「その資格試験の採点は誰がやるのか。太田総理の主張やVTRの中身を聞いていると、『小泉さんが靖国神社に参拝して中国、韓国と仲が悪くなるという失敗をしたから資格試験をやろう』という発想を感じた。それじゃ、試験の採点に、中韓という外国が実質的には加わるかのようだ。そんな資格試験は発想からして間違ってる」と発言した。

 太田総理はすぐに、小泉首相の靖国参拝は許せない、第一に説明が足りない、言葉が足りない、侵略された中国の人々が靖国参拝をどれほど悲しんでいるのか分かっているのかと、激しく切り返し、ぼくは「ここで靖国参拝をやめたら、中国や韓国の嫌がることは何もできない日本になってしまうと小泉さんは、最近の会見で説明した。この説明は断固、正しい」と反論した。
(あとで、「小泉さんの言葉が足りているとは誰も思っていないけれど、小泉さんはあくまでスターターだ。だからこそ言葉も足りない。これから日本が自立して、独立して、国の運命を決めていくための、スターターであることを積極的に評価する方がいいと思う」とも述べた)

 そして他の出演者もどっと発言して、話は、まずは靖国参拝をめぐる猛烈な応酬になった。太田総理の主張への賛否が激しく入り乱れた。
 靖国参拝の是非がマニフェストに掲げられていたわけじゃないけど、この流れからすると、自然な展開だとは言えると思う。
 太田総理とぼくのこの冒頭のやりとりを必ず、紹介してくれ、放送してくれと言うのじゃない。
 他の出演者も懸命に、熱く、面白く、太田総理の主張に反論したり支持したりしたのだから、一方的に太田総理の主張を容認したような感じの編集は、それを多くの視聴者が歓迎するだろうかという意味でも、やはり首をかしげる。


▼このぼくの個人HPの書き込みをめぐって、番組から圧力があったのかというコメントがいくつかあったけど、それは全くありません。
 圧力も何も、なんの接触もない。嘘など言わない。

 たぶんテレビ局は、そんなにヒマじゃないでしょう。
 ぼくの文句をそんなに気にする、あるいは関心を持つとは思えない。

 この件で初めて、この個人HPに来た人も多いようだし、ぼくは知名度がまったく低いので、何をしている男なのか知らない人も多いでしょう。
 それはそれでいいのだけれど、ぼくは、おのれ自身の基準でしか動かないことは、ぼくの数少ない読者や視聴者は、よおく知っている。
 今回も、まったく同じです。今回だけ違うという理由がない。

 自分の書き込みが正しくないと、おのれが思ったから、削除した。
 いったん正しいと思ったことが、考え直してみると正しくないことは、もちろんあります。
 ここは、ぼくの個人HPですから、正しくないと思ったことは、自分の思うように直します。直して、整理します。いただいたコメントは、一つの例外もなく、ぼくのパソコンに保存しました。ぼくにいただいたコメントとして、無駄打ちにはなっていません。

 そして、その心の経過を他人に知られること、批判されること、それは全くかまいません。
 批判されると、正直、哀しいですよ。しかし、全くかまいません。
 なぜなら、ぼくの本業の一つは物書きです。
 物書きとは、自分の心の動きをプライバシーとはせずに、広くみんなへ、さらけ出す仕事です。
 ぼくが胸に定めた覚悟のうちの、もっとも大切な一つです。
 だから、ぼくが削除したぼくの書き込みが2チャンネルに転載されたことには、異議がない。


▼写真は、ぼくの読者からいただいた電子カードに添えてあった写真です。
 この読者からは、今回の件で、このHPにコメントもいただきました。
 いつも、ありがとう。
「弘前城の古木の幹に咲いたソメイヨシノ」だそうです。
 この感覚、ぼくも共感します。

 3月31日、独研の社員・スタッフのみんなと、千鳥ヶ淵で恒例の花見をしました。
 独研の社員・スタッフは、アメリカなどで育った帰国子女が多いので、無名戦士の墓のある千鳥ヶ淵も、その隣の靖国神社も、それから千鳥ヶ淵と接する皇居のたたずまいも、すべて新鮮なのです。
 彼らが実感できる、祖国の手触りです。

 ぼくは、皇居のお堀がみえる場所にみなと集まり、桜の幹に手をやって、「こうやって古い、古い桜の幹から、こんなに新しい若い芽が出て、花が咲くところも凄いんだよ」と社員・スタッフに話しました。

 だから、この写真は、特にうれしく思いました。


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