眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

音階

2017-07-14 | 
あの人さ、行っちゃったじゃない?

 つまんなさそうに鉛筆をくるくるしながら少女が呟く
  僕はあいも変わらず煙草を咥えて
   最近手に入れた6弦ベースを悪戯していた

   君さ
    あの人のこと好きじゃなかったんじゃないの?

    少女は古めかしい鉛筆削り機に2Bの鉛筆を突き刺して
     影も形もなくなるくらいまで鉛筆を削った
      まるで鰹節みたく

     あたしはあの人のことなんて好きでも嫌いでもないわよ

     少女は煙たそうに僕の煙草の煙に目を細めて
      僕の口からシガレットを奪い取り
       苦々しそうに一服した

      そう?
       君はあの人がいるときいつも皮肉っぽかったじゃない?

       どうでもいいのよ。

        そう云って彼女は少しばかり眩しくなった陽光に手をかざした

         陽光が部屋の水槽の水をきらきらと泳いだ

          僕はコントラバスギターの調弦に四苦八苦していた
           12フレットの音がかなりずれている
            たぶんネックが反っているのだ
             僕は不安定なハーモニクスを出して
              楽器の弦を緩めケースに仕舞いこんだ

              ね
             あの人の楽器はどうなったの?

            少女が灰皿ではっか煙草を揉み消しながら
           上目使いで僕を覗いた
        少女の視神経には僕は魚眼レンズの類として読み取られたのだろうか? 
       壁に立てかけた六本の楽器のケースの横に
      僕はあたらしい茶色のケースをかたずけた

     君さ。

    なによ。

   君がこの世界を離れなくちゃならないとき誰に君の楽器を預けるつもり?

  少女は有田焼のカップでレモネードをごくり、と飲み干した

 誰にも預けない、この子はあたしの一部なんだから。

臆病そうな表情で一瞬目を伏せながら
 彼女は古臭いシュタウファーを抱きしめた
  そうして僕に珈琲を淹れろと命令した

   卑怯よ、そんな質問。

    濃ゆめのマンデリンにウイスキーを零しながら
     少女の機嫌は最高潮に悪かった

      でもさ、
       そういう瞬間ってふいに訪れるよ。
        どうしようもなくつらい事柄だけれど。

        あなたにはそんな経験あるの?

       少女は僕を皮肉に見つめた

      あるよ。

     僕は壁に並んだ六本の楽器を眺めながら珈琲を飲んだ

    そうしてあれからまだ一度も開けていない楽器のケースを遊覧した
   少女はその視線の先に気付いて不思議そうに尋ねた

  そういえばあのケース開いたことないわよね?

 小さな水槽の中で魚が泳ぐ
眩しい斜陽に青い魚たちが躍っていた
 くるりくるりと

  あのケースの中には何が入っているの?

   少女はお酒でまどろみながら僕に尋ねた

    記憶さ。

     記憶?

      そう。遠い記憶。

       

       あの時あの人は僕に一本の楽器を託したのだ
        それがあの人の夢だったのか抵抗だったのか遺言だったのか
         今となっては解らない
          ただ今の僕にはそれらは遠い記憶なのだ

           僕は21歳で魂の行方を知らなかった
          あの人の意思と無関係に音楽を無造作に扱い
         戯言と虚偽の記載で現実を粉飾していたのだ
        あの時こんな瞬間が訪れるなんて想像も出来なかった
       遠い記憶なのだ

      ぱしゃり
     と魚が水面の表面を微笑むように撫でた

        

    ね
   君、音楽好きかい?

  怪訝そうな表情で少女は僕の意思を値踏みした

 あたりまえじゃない。
音楽がなかったらどうにかなっちゃうわ。

 僕は微笑んだ

  たぶんさ
   たぶんそういう人に預けるんだと思うよ。楽器。

    少女は不服そうに僕に何かを云いかけ
     そっと黙り込んで緑色のソファーに横たわった
      眠いのだ

       たぶん

        たぶんあの人もそんな風に想って
         楽器を手放したんだよ

          少女が軽い寝息を立てた

           僕はその呼吸音を聴きながら
            まだ開けられない楽器のケースを眺め
             そっと煙草に灯を点けた


              今はいない


              君を想って


              音楽止めんなよ

             
             遠い声が聴こえた様な気がした

             

             陽光がさんざめく


            きらきら


           きらきら



          無数の音階が世界を満たした



         君の生まれた日と旅立った日

   
        輪廻する魂の階層に於いて

       
      祝福を


     汝の手に無限を


    ひと時の中に久遠を


   きらきら


 きらきら






















 

 
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