眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

冬の日

2017-10-16 | 


あなたどこ帰りますか?

タンブラーグラスのバーボンを飲み干して彼女はそう云った。
カウンターには僕と彼女しか座っていなかった。
朝の四時半だ。仲間達はみんな酔いつぶれ、まるで自分の部屋にいる様に安心しきった寝顔で入り浸った馴染みのバーの床に這いつくばって眠っていた。
僕はウィンストンを吸って黙って店のポスターを眺めていた。
彼女は不思議な生き物を見る様に飽きもせず僕からの答えを探し出そうとしている。僕は考える振りをしてただ煙を吸い込んでいた。
僕は考える事を放棄していたのだ。
何もかもの存在自体が危うく見える時代。僕等はただ酒と音楽に酔いつぶれた。
帰れる所なんて何処にも存在しなかった。だから彼女の質問にも答えられる訳が無かった。

キャンパスの広場のベンチで女の子がギターを弾いていた。
ある寒い日の出来事だった。ショートカットの茶色い頭がリズムに乗って揺れていた。
何人かの学生が耳を傾けつまらなさそうに彼女の歌を聞き流しては去ってゆく。
気が付くと、コートのポケットに手を突っ込んだ僕だけが残された。
曲が終わると彼女は少しだけこちらを見て微笑んだ。
僕は何だか気恥ずかしくなって青い空を見上げた。
歌声が流れた。
スザンヌ・ヴェガの「ルカ」だ。僕はガットギターの音に耳を澄ました。哀しい歌声が終わると彼女は僕の顔を眺めこう云った。

  音楽好きですか?

  僕はうなずいた

そうして彼女はとても嬉しそうに微笑んでギターを僕にそっと手渡した。僕は戸惑いながら適当に頭に浮かんだフレーズを弾いた。とても丁寧に弾き込まれたギターだった。3コードのブルースを引き始めると彼女は英語と日本語が入り混じった歌を即興で歌った。僕等は飽きもせず適当な音楽を歌った。日が暮れる夕方まで僕等はそうしていた。

僕はロンドンからの留学生の彼女を行きつけのバーに連れて行った。
どうしてそうしたのか自分でもよく分からなかった。
彼女はギターケースを抱えて店の中を見回した。
店にはマスターと常連が顔をそろえていた。誰かが口笛を吹き僕等を招き入れた。仲間は何も聞かないで僕等に酒を注いでくれた。外国人だろうが何だろうが仲間達にとっては大した問題ではなかった。テーブルの上にクラッカーやオイルサーディンの缶詰めやら豆のスープが並んだ。彼女は不思議そうに彼等や店の楽器に目をやり満足げにバーボンを舐めた。何だか捨てられた猫の様だった。仲間達は入れ替わり立ち代りドラムを叩いたりベースを悪戯している。フリーの「ウィシングウェル」が流れた。酔っ払ったギターが狂ったように速弾きを始めた。みんな可笑しな即興を始めた。
いつもの風景。
だけど僕には何か気になる事があった。彼女は何も食べ物を口にしないのだ。ただお酒だけを舐めている。緑のセーターからのぞく彼女の腕はとてもとても細かった。
試しにフライドポテトを薦めたが、彼女はめんどくさそうに首を振って拒否した。
ただお酒と音楽に身を浸していた。
彼女はそれからたまに店に顔を出すようになった。
二ヶ月がたった。

ピーナッツを何粒か口にして咀嚼した。
かりっと音がした。

 ねえ、食べる?

 いらない。でもありがと。

僕はとても哀しく想った。
彼女は講義にも出ていなかった。広場のベンチか店で嬉しそうにただ歌を歌っていた。
何度か大学病院のバス停で彼女を見かけたと誰かが教えてくれた。
僕は「チムチムチェリー」を弾き「ロンドンデリー」を弾き「マルセリーノの唄」を弾いた。彼女はお酒を舐めながら楽しそうに身体を揺らしていた。
僕は何も訊かなかった。

あなたどこ帰りますか?

突然彼女が尋ねた。
僕は一瞬なにを訊かれたのか理解できなかった。

何処に?

わたし今度の土曜日に家に帰ります。先生もパパとママも帰りなさいいいます。
だからわたし帰ることにしました。

あなたどこ帰りますか?

失われた場所が一瞬僕の頭を駆け巡った
それから僕はウィンストンを吸って黙って店のポスターを眺めた。
彼女は飽きもせず僕の答えを待った。
僕は黙り込んで煙草を吸った。

  音楽好きですか?

彼女が尋ねた。うん、と僕は答えた。

  いつまでも?

  うん。
 
  よかったです。

彼女はそう云ってカウンターから立ち上がりギターを弾いて歌った。
僕はとてもとても哀しかった。

彼女はいつまでも歌い続けた。

終わらない物語のように。

誰にもわからない歌を歌った。


土曜日が来て日曜日が去った

 広場のベンチにはいくら探しても彼女の姿はなかった

  煙草を取り出して火を点けた

   白い煙がゆらゆらと立ち昇る

    やるせない虚無に向かって

     行き場の無い哀しさ

    
     僕は考える振りをしている





      行き場の無い




      僕自身の存在



      いつかの



       冬の日




メリークリスマス























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