眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

遠い記憶

2023-01-01 | 
それは遠い記憶
 薄っすらとした白い息が
  少し開いた君の呼吸を確認させてくれる
   ねえ
    生きているの?
     少女の問いに答えず僕はレモン水をコップに入れて差し出した
      少女は赤い舌でレモン水を少しだけ舐めた
       甘い。
        ハチミツが入っているんだ。
         僕は煙草に灯をつけ
          緑色のソファーで横たわる彼女を見つめた
           ソファーは使い古しの古道具屋から譲り受けた物で
            色褪せ
             或るいはスプリングが絶望的なままに
              飛び出していた
               それでもその緑色のソファーは
                数少ない仲間内では特別な存在で
                 そこで深い眠りにつく誰しもが
                  柔らかで優しい夢を見た
        
                ねえ
               生きているの?
              少女が身を起こしコップをかざしながら尋ねた
             僕は空になったコップにそおっとレモン水を注いだ
            ねえ
           生きているの?
          僕のことかい、それとも君のこと?
         僕は煙草の灰を灰皿にしていた白い小皿に
        飛び散らないようにゆっくり落とした
       まるで大切な記憶が欠落してゆく様に
      君のことならたぶん生きているよ。
     頭が痛い。
    少女は短く切りそろえた髪の毛に手を突っ込んでそう呟いた
   飲みすぎたんだよ、少しばかりね。
  みんなは?何処にいったの?
 広い部屋を見渡して彼女が呟いた
みんな、それぞれ自分の世界に帰ったよ。
 僕は答えて天窓の方を見上げた
  青い月夜だった
   冬の名残の夜の冷たい空気がとても清潔だった
    まるでアルコール消毒された注射器の針のようだった
     どうしてあなたは此処にいるの?
      少女が不思議そうな口調で尋ねた
       
       どうして僕は此処にいるのだろう?

       たぶん帰れる処がなかったからだ
      それに少女ひとりを残してこの世界を黙って去る訳には
     いかないような気がした
    ただそういう気持ちがしただけだったのだ
   それが理由だよ。
  僕がそう云うと少女は白い息でため息をついた
 まるで存在そのもに重さがない様な羽毛のようなため息だった
ありがとう。
 コップを僕に手渡しして彼女は僕に煙草が吸いたいと告げた
  僕はフィリップモーリスに灯を点けてから
   彼女に煙草を渡した
    彼女は深く深呼吸をするように煙を吸い込んだ
     吐き出した薄っすらとした白い息が宙空にぼんやりと浮かんだ
      誰もいないのね?
       少女がもういちど確認するように僕の顔をみつめた
        うん みんな帰ったよ。
         僕は煙草を白い小皿でゆっくりと揉み消した
          君と僕が残ったんだ。
           あるいはわたしとあなたが残されたのね?
            レモン水美味しかった。
             それはよかった。
              ハチミツを入れると酔い覚ましになるんだ。
               そう。
              
              少女は緑色のソファーから立ち上がって
             古臭くてだだっ広いだけの部室を一瞥し
          軽音楽部の部室の真ん中のアップライトピアノに向かった
           そうして大切な何かを優しく撫でるように蓋を開けた
          ピアノの前の椅子にゆっくり腰掛け
         それから天窓からのぞく青い月を見上げた

        青い月夜ね

       少女はそう呟いて鍵盤を何度も愛おおしそうに撫でた
      彼女の大切なものが何なのか僕にはさっぱり想像できなかった
     
     青い月夜ね

    もう一度呟いて煙草を床に投げ捨て
   ブーツの踵で吸殻を踏み潰した
  僕には何をどうしていいのか分からなかった
 どうして少女がそんなになるまでお酒を飲むのか
どうして大切なものに触れるかのようにピアノの鍵盤をなぞるのか
どうして吸えもしない煙草をブーツの踵で踏み潰したのか
 

  考え込む僕の耳元にピアノの音が柔らかく響いた
   戦場のメリークリスマス
    青い月の光が少女とピアノに降り注いだ
     まるで一枚の絵画のようだった
      まるで奇蹟のように
     僕は部屋に残されたウイスキーの瓶に口をつけた

     ただ真夜中に哀しい音楽が響き渡った

     どうしてあなたは此処にいるの?

     少女の問いかけが耳に木霊した

     旅に出る仕度をしなければ

     たぶんもう此処にもいられなくなる

    あれから気の遠くなるような時間が流れた
   もう彼女が何処で何をして暮らしているのかも
     もちろんわからない
   みんなと同じように自分の世界を見つけられただろうか?
     
      揺れていた時代の 
     
     薄っすらとした遠い記憶







    
       

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