常熟にて

常熟で働く日本人。常熟生活を綴ります。

どこでもタダ!!お得な”常熟旅遊カード”を作ろう!

2017年04月20日 11時06分44秒 | 日記

似たようなブログを別のところで書いているので、今後こちらの方には常熟の実用情報のような記事を書くようにします。

常熟の有名な観光地と言えば、沙家浜、尚湖、虞山、兴福寺など実は数えるほどしかありません。行政的には蘇州市に属しながらお寒い限りですが、実はあまり有名でないが入るのは有料という場所が至る所にあります。そういう場所に1年間無料で入れるカードがあるのをご存知でしょうか。外国人でもパスポートさえ持っていけば、北駅近くの旅行センターで即発行してもらえます。

こちらが長距離バスの北駅。北駅の南隣に常熟市旅遊集散中心があります。

旅行センターは左の入り口です。

入って左側、手前から2番目の受付に行ってパスポートを渡します。

写真もその場で撮ってくれます。

写真付きのカードができあがり。110元で12月31日までどこでもフリーパスです。

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ダイソーっぽくでユニクロ風味、それでいて無印良品 メイソウ in 常熟

2017年04月10日 19時02分38秒 | 日記

  あまり出歩かない方なので気づかなかったが、常熟にもメイソウという店ができている。この店が日本でどの程度知られているのかよく知らない。ネットで調べてみると、『ダイソーっぽくてユニクロ風味、それでいて無印良品』などと揶揄され、ニセモノ天国中国を象徴する悪玉代表のような評価を受けているらしい。

  いかにも。商品の裏には、ご丁寧に東京都中央区銀座云々なる架空の本社所在地が印刷されており、かなり手の込んだニセモノぶりとでもいうか。東京にも実態店舗があるということで少しあきれてしまうが、逆によくそんな店を開くことが可能だったものだと感心する。

  実は言いたいことは別の部分である。ネットでの評判をいくつか見てみると、このメイソウなる店、ダイソー、ユニクロ、無印良品の3つの良いところをすべてパクっているから、罪は3倍であるかのような批判の仕方が多い。メイソウを弁護するものではさらさらないが、これは違うと思うのだ。罪は3分の一というべきだろう。なぜか?

    確かに物真似はよくない。ただ私はこのように思う。本当にオリジナルなものという物は、そうやすやすと生み出されるものではない。私は自然科学出身だが、何か一つの分野を研究し、新しい成果を目指そうとする場合、最初の段階は既存の研究成果を徹底的に調べる。つまりは勉強する。これに膨大な時間を費やす。そして実際はその分野を下調べ、つまり勉強している間に、幾多の先行研究の組み合わせの中から未だ前人未踏の新しい領域、研究テーマを見出すのである。

  これは実感として言うのだが、オリジナルな仕事というのも、あちらこちらから自分なりの観点で、集めた既存技術の組み合わせの塊の上に、自分のアイデアという実に薄い皮を乗せたものというだけのものなのである。科学というものはそうやって進歩してきた。iPhoneが初めて発売されたとき、どこに革新技術があったのだろう。私はその方面に暗いが、そのほとんどは既存の技術の組み合わせだったのではないだろうか。

  少し極端な言い方を許していただきたい。過去の日本がそうであり、現在の中国がそうであるように、先進の技術や文化を徹底して研究し真似ることはオリジナルへの、唯一かつ必須のステージであるとさえ私は思うのだ。それは単一のモノの模倣に始まり、やがて複数の良い物の組み合わせへと進化する。その複数が2つが3つ…と増え、仮に100レベルのものが組み合されれば、それはもはや模倣ではなく、オリジナルなものとなる。

  メイソウという店も、もちろんそれ自体は好ましいとは言えないが、今までの中国にはなかったやや進化した模倣の姿を示しているのかもしれない。

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中国で窓を磨く

2016年01月11日 15時21分13秒 | 日記
  中国に来てからご自分の住いの窓を拭いたことがないという人が、ことのほか多い。一度きれいにしてみてはどうか。日本であろうが、中国であろうが単身赴任となれば、掃除、洗濯は嫌でもこなさねば生きてゆけない。日本におれば窓などもある程度は美しく保とうとするだろう。しかしここ中国ではやらない。なぜか。
 
   理由は明白である。よく言われる。仮に掃除してもすぐに汚れる、汚れるというよりすぐに泥だらけになるから、である。なるほど中国人の家庭においても、窓はきれいにしない習慣ではあるようだ。そして窓自体、外面は構造上拭きにくい構造になっている。近隣の窓を見れば、どこもかしこもほぼ同じようなもの。心配はいらぬ。窓の汚れはある程度進むと、それ以上進まない。定常状態になる。それで外が見えないということはない。何の不便もない。
 
 
   その前提で、あえて窓ふきというものをやってみることをお勧めする。1日でやろうとすると大変だ。毎日少しずつやってみる。少しずつでも進めてみよ。スーパーに行き、それなりの道具を購入することは不可欠だ。実はすぐには美しくならない。なにせ築後おそらく数年、あるいは10年以上、手を付けられることのなかった汚れである。下手な拭き方をすると余計に醜くなる。
 
   続けていくと、少しずつ、少しずつ、窓からの景色が変わって見えてくる。当初この部分だけは物理的にきれいにはできないと思っていた部分も、工夫すれば手が届くようになるのが不思議である。やがて、塵芥が蓄積し、触れることすら避けていた窓枠に肘を乗せ、ゆったりと窓外の常熟の街を眺めてみようかという気にもなる。そして、一度そのような理想状態を作っておけば、実はメンテナンスはそれほど困難なことではない。確かに汚れのつく速度は速いかもしれない。ただしそれを取り除く作業は、当初の作業に比べればあきれるほどたやすい。
 
   そうなった時点で思い返してみよ。中国は、日本と違い埃だらけ、窓など拭いてもすぐ汚れてしまう、よって掃除しないのが賢明である。という論法を。
 
   以上、窓ふきの話ではないことはお気づきだろう。人によってレベルの違いはあろうが、これまで中国経営において、自分がどれほどの偏見、思い込み、そして先入観で汚れきった色眼鏡で、中国を、そして中国人を見ていたか。少し考えてみる時間も必要ではないか。色眼鏡を外すことは、窓ふきよりは時間がかかるかもしれない。より澄み切った眼でこの国を見つめることができるように、まず何かを始め、進めていくことが大切である。自分自身への反省を含めて思う。

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こころのもちよう

2015年12月24日 15時03分53秒 | 日記

  常熟とは何の関連もないことを書く。

  小学生が過去を懐かしむということがあるのだろうか。自身の記憶では10代前半でそのようなことを考えたという記憶はない。記憶がないという基準で言えば、高校を卒業する自分まで、良い記憶、悪い記憶含め、過去について考えることはしなかった。

    回想するという心の状態を持ち得た最も早い時期は、私の場合、おそらく大学時代である。仲間内のコンパでの話題であっただろうか。幼少時代のテレビ番組や漫画本などのヒーローをネタにして、幼き日の記憶を引き出し大いに盛り上がったことを覚えている。  

     以後、主として大きな悲しみに遭遇したとき、困難な事態を前に行き詰った折などに、ふと、ああ、あの頃は良かった、などと現実逃避の一手法として自分の人生の中の不特定の古き良き日を回想する、という心態回路とでもいうべきものが自分のなかに出来上がった。おそらく多くの人びとにとっても同様ではないかと想像する。  


    私の場合、そのような回想癖というのは、大学を修了してから“本格化”する。最初は学生の頃は良かった、というそう遠くない過去の自分を羨むことが多くあった。30台も半ばを超える頃から、10年前はよかった、という具合に変化する。10年前は良かった、つまり自分がもう10歳若かったら、ということである。あと10歳若かったらこれがしたい。あと10歳若かったらやれたのに。そういう言い訳を何度となく自分にするわけだ。

  そう思い続けて十数年。50歳を迎えるかという年になり思った。思ったのではなく、人から聞いたのかもしれぬ。あと10年若かったら、ずっとそうして生きてきたのであれば、おそらくこの先もそうであろう。であれば、今の自分というのは、10年後の自分が「ああ、あと10歳若かったらどんなによかったか。」と羨むその時を生きているのだと。  

     妙に腑に落ちるものがあった。不思議なもので、以後現在に至るまで、現在の自分は10年後の自分が願っても得られない至福の時を生きているのだと、実感し日々を送ることができるようになっている。


中国へ赴任する者へ 〔4〕

2015年08月06日 18時39分29秒 | 日記

 そして中国赴任の最終ステップ、本番の舞台を迎える。台詞も覚えた、共演者との呼吸も充分。主役としてあなたの演技を見せる時なのだ。ここへきて初めて、あなたは全人格をかけ、あなたのやり方で目標に向かって一直線に進むことができるのである。

 この段階で遠慮は禁物。私たちにとって中国での経営は、その本質は異文化間の大いなる衝突なのである。矛盾、対立が起こらないほうがおかしいといってよい。逆に言えば、この期に及んで、ただ民主的に中国人と仲良く仕事ができているというのは、中国的なものに大きく譲歩したフレンドリー上司、言い方を変えれば“頼りないリーダー”でしかない。適当に祭り上げられて終わりだ。中国人からも、日本からも。

 ある時はこれが俺のやり方である。納得づくでは日が暮れる、相手の納得なしに首に縄つけてでも下の者を引っ張らねばならない時もある。当然、それまでの信頼の貯金はどんどん目減りしていく。反論や陰口はいたるところから出てくる。状況によっては本社にも報告しがたい判断を自らの責任において下さねばならぬ時もある。

 自分の仕事をせよ。自分のビジョンを実現せよ。同時に、中国、中国人から目をそらしてはいけない。日本に背を向けて演技をせよと前回言った。これは日本に背けということではない。この時期、中国の組織のありようを最も理解し、その進む道を示せるのはあなたしかいないはずだ。日本に対しては後姿で演技をせよということである。その姿を正しく評価する者は必ず日本にはいる。

 元来、リーダーとはおそろしく孤独なものなのである。あなたの過去の優れた上司を思い出してはいかがだろうか。その上司と一緒に仕事をしている時、あなたは楽しかったか?むしろあなたにとっては目の上のたん瘤、時に悔し涙を流すほどの横暴な上司ではなかったか。実の親にしてしかり、真の指導者にしてしかり、本当の偉大さはその元を離れてのちわかるものである。彼には彼のビジョンがあり、その実現のために勝負をしていたのだということを後になって知るであろう。

 偉そうなことを書いた。実際には、徒手空拳で中国にやってきて、安全を確保することも、中国語をマスターすることも、中国人の懐に飛び込むことも、そして自ら主役となって組織を動かす舞台を演ずることも、実はどれ一つをとっても決して容易なことではない。私がそれをなしえたなどとは、とうてい言えない。その前提で、要は環境に流されず、路半ばで倒れることを恐れず、自分なりのビジョンをもって、この強大な国中国に臨んでいただきたい、ということである。

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