常熟にて

常熟で働く日本人。常熟生活を綴ります。

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下町ロケット  N君のこと

2016年02月02日 19時26分26秒 | 日記
 N君は大学時代の友人である。実名で書けば、おそらくその方面では知る人ぞ知るという人であろうから、君付けにするのも実は申し訳ないのではあるが、大学時代は同じ体育会系の運動クラブで労苦を共にした仲間であるから、多少の非礼であれば当人も許してくれるであろう。

 彼N君は、少し前の話になるが、2014年2月28日、種子島宇宙センターからJAXA(宇宙航空研究開発機構)と三菱重工になるH-2Aロケット23号機の打ち上げの際、射場チーム長、つまり現場の責任者として打ち上げを担当し、見事にその任を果たした人である。



 20歳になるかならぬかの時代、彼とは夜遅くまでよく語り合った。驚くべきことであるが、40年近く前、既に彼は、将来は三菱重工に入社し、ロケットを打ち上げるのだと自らの夢を熱く語っていた。むろん同じ大学とはいえ、私などとはレベルの違う秀才ではあったが、それにしてもである。小学校時代からの学友の中には、著名な政治家として活躍中の者もおり、医師として国際的に認められる成果を上げた者、一部上場企業の社長となった者達もいるが、学生時代の夢を、そしてその実現には努力だけではない、他の要素が多分に必要な夢をかなえた者、という意味では私の過去の学友を見渡して、N君の右に出るものはいない。

 2011年8月、私はすでに54歳である。転職を決意し、中国での職場を求め東京に出向いた。採用面接の前日、巣鴨に宿をとった。昼前に到着したので何か読み物をと、駅前でなにげなく手に取った本が「下町ロケット」である。軽い小説なので一晩で読み上げた。夢を語る小説であった。そして私は、安価労働力を求め中国常熟に進出した東京下町の所謂中小企業に拾っていただいた。

 あれから4年を経た。当初の下町企業の常熟工場には依然籍を置いてはいるが、当地常熟で長年の夢であった小さな語学学校を開いて3年目になる。昨年は、幸運の上に幸運が重なり、地元大学で日本語教師の職を得、学位もない私が客員教授などという肩書もいただけるようになった。

 夢というにはあまりにも小さいと思われるであろう。しかしこれが私のやりたいことであった。若い頃の夢を実現できる才能と幸運に恵まれる者がいる。一方、齢五十を超えてからようやくやりたいことを見つけ、それでも自力ではなく、他力と幸運を味方につけやっとのことで実現する小さな夢もある。
  
 いずれにしても夢を失わないことが肝要ではないか。 

2016年新春 常熟にて


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中国で窓を磨く

2016年01月11日 15時21分13秒 | 日記
  中国に来てからご自分の住いの窓を拭いたことがないという人が、ことのほか多い。一度きれいにしてみてはどうか。日本であろうが、中国であろうが単身赴任となれば、掃除、洗濯は嫌でもこなさねば生きてゆけない。日本におれば窓などもある程度は美しく保とうとするだろう。しかしここ中国ではやらない。なぜか。
 
   理由は明白である。よく言われる。仮に掃除してもすぐに汚れる、汚れるというよりすぐに泥だらけになるから、である。なるほど中国人の家庭においても、窓はきれいにしない習慣ではあるようだ。そして窓自体、外面は構造上拭きにくい構造になっている。近隣の窓を見れば、どこもかしこもほぼ同じようなもの。心配はいらぬ。窓の汚れはある程度進むと、それ以上進まない。定常状態になる。それで外が見えないということはない。何の不便もない。
 
 
   その前提で、あえて窓ふきというものをやってみることをお勧めする。1日でやろうとすると大変だ。毎日少しずつやってみる。少しずつでも進めてみよ。スーパーに行き、それなりの道具を購入することは不可欠だ。実はすぐには美しくならない。なにせ築後おそらく数年、あるいは10年以上、手を付けられることのなかった汚れである。下手な拭き方をすると余計に醜くなる。
 
   続けていくと、少しずつ、少しずつ、窓からの景色が変わって見えてくる。当初この部分だけは物理的にきれいにはできないと思っていた部分も、工夫すれば手が届くようになるのが不思議である。やがて、塵芥が蓄積し、触れることすら避けていた窓枠に肘を乗せ、ゆったりと窓外の常熟の街を眺めてみようかという気にもなる。そして、一度そのような理想状態を作っておけば、実はメンテナンスはそれほど困難なことではない。確かに汚れのつく速度は速いかもしれない。ただしそれを取り除く作業は、当初の作業に比べればあきれるほどたやすい。
 
   そうなった時点で思い返してみよ。中国は、日本と違い埃だらけ、窓など拭いてもすぐ汚れてしまう、よって掃除しないのが賢明である。という論法を。
 
   以上、窓ふきの話ではないことはお気づきだろう。人によってレベルの違いはあろうが、これまで中国経営において、自分がどれほどの偏見、思い込み、そして先入観で汚れきった色眼鏡で、中国を、そして中国人を見ていたか。少し考えてみる時間も必要ではないか。色眼鏡を外すことは、窓ふきよりは時間がかかるかもしれない。より澄み切った眼でこの国を見つめることができるように、まず何かを始め、進めていくことが大切である。自分自身への反省を含めて思う。

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こころのもちよう

2015年12月24日 15時03分53秒 | 日記

  常熟とは何の関連もないことを書く。

  小学生が過去を懐かしむということがあるのだろうか。自身の記憶では10代前半でそのようなことを考えたという記憶はない。記憶がないという基準で言えば、高校を卒業する自分まで、良い記憶、悪い記憶含め、過去について考えることはしなかった。

    回想するという心の状態を持ち得た最も早い時期は、私の場合、おそらく大学時代である。仲間内のコンパでの話題であっただろうか。幼少時代のテレビ番組や漫画本などのヒーローをネタにして、幼き日の記憶を引き出し大いに盛り上がったことを覚えている。  

     以後、主として大きな悲しみに遭遇したとき、困難な事態を前に行き詰った折などに、ふと、ああ、あの頃は良かった、などと現実逃避の一手法として自分の人生の中の不特定の古き良き日を回想する、という心態回路とでもいうべきものが自分のなかに出来上がった。おそらく多くの人びとにとっても同様ではないかと想像する。  


    私の場合、そのような回想癖というのは、大学を修了してから“本格化”する。最初は学生の頃は良かった、というそう遠くない過去の自分を羨むことが多くあった。30台も半ばを超える頃から、10年前はよかった、という具合に変化する。10年前は良かった、つまり自分がもう10歳若かったら、ということである。あと10歳若かったらこれがしたい。あと10歳若かったらやれたのに。そういう言い訳を何度となく自分にするわけだ。

  そう思い続けて十数年。50歳を迎えるかという年になり思った。思ったのではなく、人から聞いたのかもしれぬ。あと10年若かったら、ずっとそうして生きてきたのであれば、おそらくこの先もそうであろう。であれば、今の自分というのは、10年後の自分が「ああ、あと10歳若かったらどんなによかったか。」と羨むその時を生きているのだと。  

     妙に腑に落ちるものがあった。不思議なもので、以後現在に至るまで、現在の自分は10年後の自分が願っても得られない至福の時を生きているのだと、実感し日々を送ることができるようになっている。

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中国へ赴任する者へ 〔4〕

2015年08月06日 18時39分29秒 | 日記

 そして中国赴任の最終ステップ、本番の舞台を迎える。台詞も覚えた、共演者との呼吸も充分。主役としてあなたの演技を見せる時なのだ。ここへきて初めて、あなたは全人格をかけ、あなたのやり方で目標に向かって一直線に進むことができるのである。

 この段階で遠慮は禁物。私たちにとって中国での経営は、その本質は異文化間の大いなる衝突なのである。矛盾、対立が起こらないほうがおかしいといってよい。逆に言えば、この期に及んで、ただ民主的に中国人と仲良く仕事ができているというのは、中国的なものに大きく譲歩したフレンドリー上司、言い方を変えれば“頼りないリーダー”でしかない。適当に祭り上げられて終わりだ。中国人からも、日本からも。

 ある時はこれが俺のやり方である。納得づくでは日が暮れる、相手の納得なしに首に縄つけてでも下の者を引っ張らねばならない時もある。当然、それまでの信頼の貯金はどんどん目減りしていく。反論や陰口はいたるところから出てくる。状況によっては本社にも報告しがたい判断を自らの責任において下さねばならぬ時もある。

 自分の仕事をせよ。自分のビジョンを実現せよ。同時に、中国、中国人から目をそらしてはいけない。日本に背を向けて演技をせよと前回言った。これは日本に背けということではない。この時期、中国の組織のありようを最も理解し、その進む道を示せるのはあなたしかいないはずだ。日本に対しては後姿で演技をせよということである。その姿を正しく評価する者は必ず日本にはいる。

 元来、リーダーとはおそろしく孤独なものなのである。あなたの過去の優れた上司を思い出してはいかがだろうか。その上司と一緒に仕事をしている時、あなたは楽しかったか?むしろあなたにとっては目の上のたん瘤、時に悔し涙を流すほどの横暴な上司ではなかったか。実の親にしてしかり、真の指導者にしてしかり、本当の偉大さはその元を離れてのちわかるものである。彼には彼のビジョンがあり、その実現のために勝負をしていたのだということを後になって知るであろう。

 偉そうなことを書いた。実際には、徒手空拳で中国にやってきて、安全を確保することも、中国語をマスターすることも、中国人の懐に飛び込むことも、そして自ら主役となって組織を動かす舞台を演ずることも、実はどれ一つをとっても決して容易なことではない。私がそれをなしえたなどとは、とうてい言えない。その前提で、要は環境に流されず、路半ばで倒れることを恐れず、自分なりのビジョンをもって、この強大な国中国に臨んでいただきたい、ということである。

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中国へ赴任する者へ 〔3〕

2015年07月27日 14時41分21秒 | 日記

 仕事をするとは演技をすることであると書いた。これは中国に限ったことではないと私は個人的に思うのだが、一般には中国へ来て初めてそのことを実感するのが通常である。つまり自らの職位、職責は中国限定のものであり、この地を離れれば元の“役柄”に戻ることが前提であるからだ。

 それぞれの舞台があろう。共通して台詞は日本語、中国語であることは言うまでもない。主たるストーリーは自分の身近に常にいる中国人との間で進んでいく。彼らとの呼吸が最も重要であることは言うまでもない。演者としてのパフォーマンスを考えれば、実はさらに重要なことが存在する。それは実は前回にもキーワードとして書いておいたのだが、中国という舞台での自らの“立ち位置”を決めよということである。

 いかに演技が素晴らしくとも、舞台のどこで、どちらに向かって演技をするかが問題であろう。当然のことのようであるが、ここ中国ではこの点での失敗例が多い。つまるところ、あなたの演技を注視するのは現地の中国人従業員であると同時に、あなたの古巣である日本の会社である。立ち位置とはありていに言えば、その間のどの場所に、どちらを向いて立ち、演ずるかということである。

 当然、中国現地法人とそれを統括する日本の組織との間に多くの駐在員は立つ、というより立たされる。多くその顔は、ちょうど溺れる者が水面のみを凝視するように、日本の方を向いている場合が多い。かつての私がそうであったように。自らの管理能力のなさを棚に上げ、不出来を環境や中国のせい、甚だしきにいたっては、中国人従業員個人にまで己の失態をなすりつける。役者としての良い顔を日本に見せたい一心である。

 結論を急ぐ。ぺっぴり腰でもかまわない。まずは中国と、中国人と向き合う勇気を持てといいたい。見かけはたいそう礼儀正しい。が、自分たちに対して後ろ姿しか見せようとしない者に対して、どの種の人間が仲間と認めるというのか。日本人と外国人という関係ではない、人間として付き合っていくあたりまえの基本とでも言うものを、忘れてはならない。本当のあなたの仕事は、演技は、その基盤があってこそ始まるといってもよい。

  要は、演者としてまず台詞を覚えよ、共演者と打ち合わせを行い、自分の立ち位置を決めよ。そして本番を迎えよということである。

最終回⇒

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