The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

国を守るとは国民の生命を守ることと何が違うのか

2015-06-02 06:04:52 | Weblog
侵略とは利益を求めて進む行動だ。自国や自国民を守るための行動にはならない。もし、日本国が沈没するなどで日本国民が住める場所がなくなるのなら、代替地を求めるだろう。しかし、武力による侵略は成功しない。侵略とは、土地を奪い、国民も奪うのか。否。国民は虐殺するのが歴史からすれば当然の結果だ。なぜなら国民までついてくれば、その国民を食わせる責務が増えるからだ。また、後日、恨みを持って逆襲されるかもしれないリスクがあるから、殲滅する。動物もにたようなものだ。これを残酷というのなら、人間は動物ではないのか、と問いたい。生きるための選択が武力という力による奪還だ。話し合いで済むかといえば、人類の歴史からすれば無理だ。
日本の平和提唱者は、現実を見ないで平和を維持しろ、という。これはもうファンタジーだし、オカルトだ。現代の常識的な知識や技術でも不可能な手段だからだ。都合が悪いと聞こえない、見ない、わからないで逃げる。何故、現実を真摯に受け止められないのか。たぶん、自分たちにとって都合が悪いことは存在しないように無視するのだ。竹島での事件をなかったことにしたいのか。日本が防衛するだけの武力を持たないためにどうなったか、まさに現実の事件がある。朝鮮半島を卑下するとか、馬鹿にするのではない。事実としてしっかり受け止めて頂きたい。戦争をしかけ、負けた。だが、日本が講和を手にするまでどうだったのか、まさにこれこそ日本人は知らなければいけない歴史だ。外国と歴史についてどうしようなんて話は政治的目的が関与すればどちらも立場を背負う限り、解決などできるはずがない。だから朝鮮半島や中国も歴史問題を引っ張り出すんだろう。つまり、解決なんてしたくないのだ。いつまでも揉めることで、彼らは利益となると考えたのだろう。そんな相手にあれこれ付き合っていても、日本側にとって何も利益にならない。なんでも相手をすればいい訳じゃない。次の一手としては、どうするのか、しっかり戦略を持って対応して頂きたい。また、ごり押しの民間交流とか、販売とかもなんとかやめて欲しいものだ。ビジネスの自由というのなら、日本国内で法的整備をしっかりして、販売した製品、サービスにおいて日本国民がなんらかの被害を被った場合、訴訟して解決しやすいようにして欲しい。消費庁があるのだから、しっかり対応すればいいだけだ。

ヘイトスピーチ規制の前に、国会における言動を正すのが先だ。野党による政府への表現は、聞いている側としても醜く不快だ。うそつき、という言葉を使うのなら相当の証拠を提示できるということだ。言われた方は名誉毀損で訴訟してもいい。ただ、審議中であれば、こういった言動について議長がしっかりコントロールするのだが、何故やらないのか。野次も同じで、議長がいながら議場がきちんとコントロールされてない点を指摘し、必要なら議長を交代させる。首相の野次が問題というのなら、野党側の発言も十分な名誉毀損となりえる。公的な場所で根拠となる証拠もなく、うそつき、二度目の嘘という。嘘という点で問題とするのなら、前政権だった民主党への責任追求、外国人からの献金問題もしっかり継続してやることだ。それにしても集団自衛権の例があまりにひどいのでうんざりする。何故、どらえもんとか、子供の話題を引っ張り出した理由がわからない。国会議員の年齢としても若くない人たちがどらえもんとか、「愚者の戯言」としか見えない。学歴がどうであれ、一般世間でいう会議と比較して、あまりに幼い会話のやり取りで呆れてしまう。野党の質が落ちたどころじゃない。知識の問題という訳でもない。ただ、現実を見ないで言葉が空回りするだけの無駄としか表現できない。石油についての知識も小学生以下の上に、過去には大震災時にプールガソリンを貯めるなど、常識をはずれた意見を堂々といった民主党だけのことはある。だから国民から信頼を得られないのだ。義務教育レベルの知識もなく、現実の問題に正面から向き合わないで議論を続ける野党の姿勢は、政治家としての適正にかける。

戦争を起こすのは、軍事ではなく政治家だ。国内の法律に従って決めるのだから、政治家の責任だ。この政治家を選んだ日本国民の責任だ。これは戦前も同じだ。だから日本国民として戦後生まれたからといっても戦争における責任がゼロとは言い切れない。間違いをしっかり正していかないならば、同じ過ちを再び起こす可能性は高い。それは何かといえば、日本国民が現実を見ないで理想ばかりの政治家を選択した結果だ。今回も同じで現実をみないで理想ばかりの政治家を選択すれば、どうなるのか考えて頂きたい。前政権が原子炉事故でどうしたのか、思い出して頂きたい。戦争は法律とか手続きとか無視すれば簡単に勃発する。朝鮮半島とのやり取りにしてもどうだったのか、中国とのやり取りもどうだったのか、思い出して頂きたい。また、献金についても外国人、それも朝鮮半島出身者からの献金だとか、中核派関係の組織とか、かなり危険な人たちだという点も思い出して頂きたいものだ。

現政権の足を引っ張るだけの野党政治家は次の選挙はないと覚悟して頂きたい。日本国民をそこまで愚行するのであれば、選挙でしっかり国民は制裁する。なにせ慰安婦問題にしても、朝鮮半島のおかげで、本来
慰安婦として傷ついた人へのシンパシーが必要なのだが、どうもそうならない。だが、日本国民すべてがこういった傷ついた女性たちへのシンパシーは持っている。当時、日本だって、貧しい家庭では子供が売られた時代だ。だから売られた女性の苦しみはわからないでもない。朝鮮半島の公娼たちは彼女たちの親族から売られた。だが、白馬事件のように強制された人もいる。同じ慰安婦といえども、状況がまったく違う。ある意味、慰安婦たちを汚したのは朝鮮半島の国によるゴネだ。自分はそれに怒りを感じる。特にアジア女性基金と日韓条約という二重な賠償金に対して、朝鮮半島はどうしたのか。
この件、政治家が穏便になんとか済まそうとするのであれば、日本国民として大規模デモをやってでも、事実を公表して行きたい。これは日本人の中で慰安婦はたんなる売春と卑下した言葉を投げつける人たちにも怒りを覚える。国がどこであろうが、本人たちの納得なしに売られた人身売買という点は事実だ。当時、これが合法であろうが、苦しんだ若い女性がいたのも事実だ。世界が興味を持つのはこういった女性に対しての日本政府および日本人がどう対応するのか、という点だ。

人身売買が合法であったとしても、実際に本人たちは納得しない状態で売られた点だ。ここにシンパシーを感じない日本政府や日本人であれば、世界から批難されて当然だ。謝罪するのあれば人身売買を合法としていた点だ。
またすでに結審しているが、軍が関与した強制もあった。これに対しては具体的な名称をあげて謝罪するのが当然だ。何年経過しても事実は事実。日本人は自然を愛で、自然を受け止める文化を持つ。過去だからと無視できないおうな心の痛みについては、きちんと正面から向き合って痛みを受けた人と痛みを分かち合う覚悟がいる。
少なくても現役で当事者が生きている間は謝罪は必要だと感じる。他国はこういった過去の謝罪をしないという。他国は他国。日本は日本だ。謝罪と賠償は別なのは、すでに条約で解決しているからだ。それでもアジア女性基金を用意したのに、これを否定したのは朝鮮半島の国であり、日本ではない。このあたりもきっぱりと明確に提示したいものだ。

日本が謝罪を継続する期間は、ビジネスとしても交流は制限するのが当然だ。被害者の痛みへのシンパシーは日本だけではなく当事国だってあって当然。そういった関係で楽しいそうなワイワイするような芸能だとか、おかしいだろう。なにせ当事国の朝鮮半島は、当時は日本国なのだから。謝罪するのは日本だけではなく、朝鮮半島の国も謝罪は必要だ。なぜなら、日本にいる在日の中には当時の慰安婦がいるのだから、無視はできない。その次にきちんと未来に対して、どう改善するのか、これを被害者に伝えることで彼女たちの犠牲も無駄じゃないと示したい。
アジアにおける性の売買について、禁止または制限を厳しくする。特に子供や人身売買などによる性の売り買いは厳しい処罰と取り締まりを徹底する。これは麻薬も関与している場合も多いので、こちらも取り締まる。こういった行動をASEANを中心に目標を定めて実行すればいい。

謝罪はシンパシー。これがなくては被害者の心はいつまでも恨みいっぱいで救いがない。法律やルールが人の心を痛めつけるのなら、どうすればいいのか。リーダが、導く人や民へのシンパシーを示せないのなら誰もそのリーダについてはいかない、という常識を忘れなければいい。ただし、金は別。ここも重要だ。金で取引するような外交や政策はやめたいものだ。もし、金を出さないのなら暴れるというのなら、暴れさせればいい。忙しい現代では、数ヶ月で話題は変わるので気にしないでもよい。また慰安婦像についても、作りたいのなら作らせればいい。作った国の人たちでさえ、見向きもしない像などに何の価値もない。数字だとかも信頼性が乏しいのだから無視でいい。また、子供がいじめられるとかも、現地で起こる事象なのだから、いじめや差別として公的な窓口に訴える。
ここの間違いは、臭いものには蓋という姿勢こそ、外国人からすれば日本人は胡散臭いという印象を与えることになる。堂々として、いじめや差別に対応するのが適切な態度だと自分は考えるし、自分もそう対応している。

本当に日本と朝鮮半島の関係を改善させるのなら、数年または数十年は交流を制限するしか方法はない。こじれた関係を修復するのは時間しかないからだ。人間個人も組織も同じ。

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