The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本の未来は政治家が作るのではなく、日本国の国民が作る

2017-03-21 05:39:44 | Weblog
どう朝鮮半島からの攻撃を防衛するのだろうか。ミサイルだけが攻撃ではないのだが、そういた危機感すらない国会議員。防衛だけではなく、災害を含めた有事への対応は、地上自治体も責任はある。日本人以外の外国人向けの緊急避難はどうなっているのだろうか、とこういった質問すらないのだ。また、災害時に日本語がわからない外国人たちがどうだったのか、そいういった報告や事例すらメディアは報道しないのだ。

どうしてそんなに不安かと言えば、戦後、朝鮮半島からやってきた外国人が日本国内で暴れまくった事実がある。それを正しく歴史として報道しないメディア。問題点は、自国国内の治安維持をするための警察ですら機能してない時代の国内暴動が何故か、朝鮮半島出身者によって起こった事実。また、竹島での漁師を拉致し、解放する条件による永住許可。一体、どれぐらいの日本人が知っているのだろうか。自分を含めて、実際に体験したお年寄りから伝え聞いているだけだ。だからこそ、不安が増す。過去を過去といて考えるといっても、日本人拉致については、近年まで継続されている。その上、ミサイル発射実験による圧力。朝鮮半島は南も北も元は一つの国。だから政治形態が変わったところで、根本が変わっている訳ではない。自己中心で、ワガママな御身第一というのは同じ。反面、中国という国は政治が共産党ではあるが、一般民は違う。他国を見て、学んで、新しい中国の文化を作ろうという努力は継続され、技術とともに品質向上も目をみはる進化がある。それでも双方に共通する言論の不自由がある。

日本国が守ろうとしている言論の自由。外国から圧力があっても、負けないで抵抗するのは、政府だけではなく、民間の日本人。グローバル化によって基準を決められるのはいいが、少なくても日本国内では基準は別という抵抗ももっとしてもいい。それにしても、憲法だとかヘイトなんちゃらだとかには抵抗するのだが、自分たちが長い時間をかけて熟成してきた文化への規制にはダンマリなのはどうしてなんだろうか。そもそもコンテンツの価値とは、それぞれの文化依存があるからこそ、それぞれのコンテンツが存在する意味があるのであって、基準が同じとなれば、結果としてのコンテンツはどんぐりの背比べで同じになる。ソフトコンテンツとして、ゲーム、アニメや漫画を世界に売ろうという時点で、この基準は必須となる。ならば、外国に売らないコンテンツとしての存在もあってもいいはずだ。それを鑑賞するためには、日本に来ればいい。どうしても疑問が残るのが世界中でバッシングする児童ポルノ。人類の歴史からすれば、児童ポルノまがいな行為はずっとあった。これを道徳的に論じる前に、そういった文化がどうして生じ、継続されたのか、そこを議論するのが先だ。そもそも性と児童を切り離す必然性がわからないのだ。食べる、寝る、性行為は人間の本能。それに年齢制限か。これはあくまでも一つの例だ。喫煙にしても、それほど健康に影響するのなら、いっそ、世界中からたばこをなくせばいいのだが、それを誰一人として提唱しない。つまり、健康以外に喫煙をなくす意味があるのかもしれないのだ。たぶん、自由を保護できるほど、人類に余裕がなくなっているのかもしれない。喫煙なんて、一人当たりの面積が広いなら、問題にもならない。だって、自然にはたばこの煙以上に危険な煙はたくさんあるからだ。その上、人工的というのなら、化学工場などの火災によって発生した煙の方が相当危険なはずだが。

自分たちの首を絞めるのか、どうか。こうった議論すらしないで禁止することへの抵抗がないのが不思議だ。あと砂糖がたくさん含まれている飲料水も同じ。禁止しない。だって、もっとも大切なのは水なのだ。その水がおいしいかどうか。未だに安全な水を常時飲める状態でない国がたくさんある。加えて、下水処理も同じでできない国がたくさんある。どんなに上下水道設備を支援しても、内乱で多くの人が死に、ライフランですら放置され、ダメになる。これを繰り返している国がたくさんある。いっそ、支援をすべてやめ、難民としての支援も受け入れもやめればよい。マルチカルチャーとは、それぞれの文化を尊重することでもある。教えても学習しないで内乱に夢中であれば、滅びるまでやらせればよいのであって、干渉しない。つまり自浄作用がない文化発展など、意味がないのだ。

自分たちが幸運なのは、民主主義という手法を有効に使わないで、自分たち第一のワガママばかりのポピュライズムな国をリアルタイムで観察できることだ。汚職がない政治は当然としても、確固たる証拠もなく状態での弾圧によって政権が崩壊するのは、決して民主主義ではない。戒厳令なりで民衆の暴動すら制御できないくらいに弱い政権だったのが問題。ゆえに赤化とまで表現されるのだ。日本は真似る必要もない。かつてとんでもない政権が日本を治めていたて、大震災や原子炉事故があった。それでも乗り越えてきた。決して、日本国民が意味もない抗議デモをやったから政権交代したのではない。戦後の日本は同じ政党が日本を治めているのが問題、と外国では言われていた。だが、それ以外の政党が治めた日本がどうだったのか、しっかり実績は残っている。だから日本が不幸なのは、自国を自国民を守り、発展しようという土台がない野党が問題なのだ。例えば、グロバール化を推進しているかと言えば、否。あくまで日本を戒め、隣国に利するように政治を行うだけなのだ。過去の歴史がうんたら、といって日本から税金を持ち出してまで隣国へ被害者支援をするような政権なんて、とてもじゃないが存在価値があるとは思えない。本当に双方にが手を取り合って進むためには、もっと別な手段がある。
そもそも過去なんて知らないでも未来は作れる。歴史に従うというのは、なんでも従えばいい訳ではない。
技術などは確かに過去事例をしらないと、新しい発見や発明ができないから必要だ。だが、人類の歴史なんて、所詮は過去におこった事実というデータのみ。そんなものにこだわるよりも、新しい技術の安全性を含めた品質向上のために、過去事例を学ぶ方がずっと意味がある。ゆえに、そういった国や民族との交流は、日本国民にとってはネガティブな影響しないないので、交流はしない方がいいのだ。交流して何一つとして得るものもない。
むしろ、古来から知られてない文化や技術を持つ、新しい新興国との関係をもっと深めていく方がよい。日本はある意味、多文化に出会うたびいに新しい発見、発明があったのだ。今更、近隣諸国からの文化など不要。

朝鮮半島出身者の特別永住許可を廃止し、ビザなし来日も凍結を!


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