繁浩太郎の自動車と世の中ブログ(新)

モータージャーナリストとブランドコンサルタントの両方の眼で、自動車と社会をしっかりと見ていきます。

過去のブログ 25/AUG15

2015-08-26 19:11:50 | 日記
「孤独のグルメ」クルマ版

今日のニュースで知りましたが、あの「孤独のグルメ」が新シリーズで帰ってくるそうです。
10月2日からの放送らしいです。

決して、高級店でないレストランと言うか、「食堂」と呼ぶほうが近い感じの、どこにでもありそうな、しかし五郎の眼で見て他には無いそこだけの魅力がある「食堂」が数々でてきます。
また、その「食堂」だけでなく、普通のどこにでもありそうなメニューも五郎の視点で、その良いトコを突っ込んでみるとこんなにも美味しそうに見えるのかと毎回関心します。
さらに、五郎のそのどこか脱力した存在そのもの、また食べる時の表情など、お店・メニューとあっている「B級な雰囲気の温かさ」がたまりません。

ある回の「食堂」は、厨房と客席とを行き来するのに、店の外をわざわざ通らないと、行き来出来ない食堂でした。雨が降っても店員は裏口から出て、外を通って、お客さんと同じ入り口から入り、厨房と客席の間のカウンターまで行って、出来上がった食事を取りお客さんに届ける。
店員にとって、まことに「不便」なお店です。
しかし、外をわざわざ歩いてくる店員さんを見て、不思議とそこに店員さんの一生懸命さと温か味を感じ、食事もめちゃくちゃ美味しそうだなと思えてしまうのです。

また、この番組は五郎が食堂に行く為の? フリの「寸劇?」があって、これがまた力の抜けた「寸劇」で、松重豊さんという非常に演技力のある俳優さんが故になせる技とは思いますが、そこで魅せる「脱力演技」がゆったりとして、食前酒のような感じで見ている者を心地よくフワッと包んでくれるんですね。
また、一連のドラマ?が終わってから、原作者の久住さんが自ら登場し五郎と同じように食べるのですが、これが「マジ食べ」で昼間から呑みが入り、嬉しそうに、美味しそうに呑んで食べる雰囲気・存在感は、思わず「私もやってみたい」と思わせるものです。

このように、ほとんどが「B級」と言っていい「食堂」にフォーカスして、五郎の眼でメニューの美味しさや食べること自体の楽しさを、脱力雰囲気で伝える番組は、今迄に無く、これはまさしく原作者や番組スタッフのみなさんが成し得た「イノベーション」と言えると思います。

無理矢理のようですが、「クルマの良さ」もこのような「人の温か味」で紹介出来たら伝わるのではないかとフト思いました。

今のクルマは燃費とか安全とか、ハードの良さを多く訴求しますが、本来のクルマの楽しさみたいな「人の気持ち(右脳)」に向けた訴求があっても良いのではとかねてから思っています。
会社の偉い方々は「左脳」的思考の方が多いので、論理で証明しなければ、通らない。
多くのクリエーターが苦労するところです。

しかし、「クルマの良さ」も「人の良さ」のようにと連想ゲーム的に思ってしまう私は物事を延長で考えているという事で、決して「イノベーター」ではなく、まさに「凡人」だなと再認識しました。(笑)

こんな私でも、モチベーションの高い仲間と一緒なら「イノベーション」までは行かなくとも、「クリエーション」位までならいけるかもしれません。
創造性は、イノベーターでなくとも、また天才でなくても、モチベーションの高い仲間があつまって、やりくりすると出てくるものです。
つまり凡人でも、やりくりすればある程度の「クリエーション」はできるということです。
(やりくりの仕方にノウハウがあります。)
世の中のヒット商品の殆どは「クリエーション」レベルです。
「孤独のグルメ」のような「イノベーション」は少ないです。


新車より中古車の方が見方によっては価格以上の大きな価値を感じるモノは多く有ると思いますので、中古車の良さの紹介を「人の温か味」で紹介するのはオモシロイかもしれませんね。としつこい私。

過去のブログ 24/AUG15

2015-08-26 19:10:31 | 日記
マクドナルドのブランド失墜

今日は辛抱しきれずに?、マクドナルドの話です。マクドナルドへの応援歌です。
クルマにも通じる話と思います。

マクドナルドの落ち込みは激しい。
日本マクドナルドは8月12日、2015年1~6月期の決算を発表しましたが、262億円の赤字で、01年の上場以来最大の赤字幅となりました。

業績改善の鍵を握るのは、「魅力的なメニューに尽きる」「お客さんと真摯に向かい合い、お客さんの喜ぶメニューや店舗作りをして、挽回する」(サラ・カサノバ社長)と、マクドナルドはこの春から、 「健康志向のニーズに応えて、選択肢を増やす」として、セットメニューにサラダを加えたり、トッピングメニューを用意したり、ベジタブルチキンバーガーなどの新商品も発売したりしました。
ところが、こうした施策はあまり成果が出ていないようです。

何故か?
それは、これらの「施策」が客離れの本質をついていないからです。
(客離れといえば「クルマ」ですが、マックとクルマは、ほぼ同じ現象と考えています。)

私は、マクドナルドは「ブランドの変遷」にハマっただけだと考えています。
つまり、どんな強いブランドでも、それをキープするには、そのブランドらしいことを次々と積み重ねていかないと、飽きられ、忘れられるということです。

昨年来のマクドナルドの騒動は、ブランド的に落ちてきていたのを、顕在化させるキッカケになったという事でしかないのではと思っています。

では、マクドナルドのブランドとは・・・
私は当然、マクドナルドが日本に上陸した時から知っていますが、確か71年かな・・・。
世の中は、戦後ではなくなり、所得倍増計画で豊かになり、日本が経済で世界のトップクラスにはいらんとする次期で、市民生活もちゃぶ台生活からテーブル生活へと「洋風化」して大きく変化している次期でした。

そんな時に、マクドナルドは日本に進出してきました。その商品はハンバーガーという日本人には馴染みの少ない、アメリカンな食べ物でした。
私もそうでしたが、多くの日本人がマクドナルドにアメリカ生活を見たのです。
「マクドナルドを食べれば、アメリカ人になれる」

アメリカ人とはアメリカの生活の事で、それは戦後日本のあこがれの生活でした。
戦後に入ってきたアメリカのTVドラマやショーの中に見る「アメリカ」は何もかもすごく、
日本人の頭に深く入り込みました。
フルサイズのクルマ、大きな家、街、ディズニー・・・陽気な人柄と笑顔。

そういう戦後が終わった時代に、マクドナルドは来ました。「あのアメリカが来た」。
食べるとアメリカ人に少しなったような気もして、日本もアメリカのようになるんだという希望がありました。

マクドナルド+コーラ=アメリカ+裕福生活 ・・・ブランドになりました。
つまり、Mac→アメリカ→憧れの裕福生活→日本の中で先を行く生活。
こういう、連想のブランドになったのです。

その後は、一般に広がり、販売量を求めて価格も安くなり、手軽になりそれが又お客を増やし、日本人の生活の定番となり、うどんそばと変わらない、(今ではもっと下のブランドになってしまった)どこにでもある、どこでもだれでも買える、普通のマクドナルドになっていったのです。
その後の日本マクドナルドの施策は、販売・売上を増やすものが多かったように思います。ブランドを維持したり向上させたりする考え方の施策は無かったように思います。
(量を増やすとブランドは落ちます。そのブランドの「適正量」があると考えています。)

今、マクドナルドが考えなきゃいけないのは、お客さんの好みは確かに大切ですが、自分達マクドナルドはこれからどうすれば、新しいブランド価値をお客さんに提供できるか?
つまり、世の中の中でどういう位置づけで何をうるのか? 
(勿論、ハンバーガーを売るのですが、お客さんがどんな気持ちになることを売るのか?)
また、マクドナルドハンバーガーの「適正量」はどれくらいなのか? 今まで、安くて早くて旨いで「適正量」以上を追い求めてきて、こうなったのかもしれない?
マクドナルドは今まで、売りすぎたのかもしれない?
ということではないでしょうか?

ハンバーガーというハードだけでの提供でなく、新しいブランド価値をいかにお客さんに提供できるか? 
提供できない時は、「適正量」に合わせた会社体質にリストラクチャリングするというのが、まっとうな施策のような気がします。

今のカサノバさんを見ていると、緊急施策は確かに大切ですが、それだけでは、お客さんも付け焼き刃的に感じてしまうのではないでしょうか?

お客さんも慣れ親しんだマクドナルドに愛着もあり、きっとこれからのマクドナルドに期待しているでしょう。
本質を見極めた施策が望まれます。

過去のブログ 23/AUG15

2015-08-26 19:09:10 | 日記
クルマはいつもガレージ


皆様は「Airbnb」ってご存知ですか?
その公式サイトの中に「暮らすように旅をしよう」というコピーがありますが、簡単に言うと個人の家が空いている時に他人の旅行者等が借りられるというものです。詳しくはサイトを見てもらえると良いと思います。
これを使った題名は忘れましたが映画も数年前にありました。
これは、家ですが当然「クルマ」にも当てはめられ、個人間でネットを介して貸し借りする事例を数年前にテレビでやっていました。

クルマは「所有から使用」などと言われ、事実クルマを所有せずに「レンタカー」を使用するというユーザーが特に都会では増えているようです。
その先に「レンタカー」そのものの仕入れを新車でなく、中古車にして仕入れ価格を下げて、レンタカー料金をお安くしているレンタカー屋さんも出てきていますね。
このように見てくると、個人のクルマを使っていない時に、他人に貸すという事も出来て当然かと思われます。
ネットの普及で、さらにスマホの普及で、こういう事をやりやすい環境になっています。

しかし、その後はどうなっているのでしょうか?
やはり、安全や事故があった時の保証とか、様々な課題は有るのではと想像できますが、詳しいことはわかりません。

ただ、基本的に普段使っていない、あるいはタマタマ空いた家やクルマや他のものを、必要とする人が使用するというのは、かなり合理的と思います。

私も、クルマでしか行けないトコへ行くとか、荷物が多い時とか事情がない限りは、基本的に毎日クルマは使わず、移動は電車です。
つまり、クルマは持っていますが使用頻度が少なく、殆ど走行距離も伸びていません。クルマはずっと家のガレージで寝ています。ガソリンがくさらないか?とも笑われます。
事実、先日はタイヤが減っていないにも関わらず、経年変化でタイヤ交換をしました。細かくですがヒビが入り始めました。
よって、殆ど使っていないので、その間他人に借りてもらって使って貰えれば、機械的にも油が回っていいし、何より少しでもお金が入りますし。いいのです。

しかし、いざ登録して他人に使ってもらうかとなると、なんだか引っかかりますよね。
クルマを大切にはしていますが、他の人に運転してもらって嫌という事はないですし、何も問題無いと頭では思っているのですが、何か引っかかります。
家の場合は、もっと引っかかると言うか、これはダメと簡単にわかります。自分達のいない間に、他人に住まれるなんて、私にはありえないです。お風呂もトイレも、さらにベッドも・・・ありえない。

しかし、クルマは微妙。
法的に整備されて、事故などの保険なども整備されて、ノンリスクになれば、何か引っかかったものもましになるかもですね。

皆様はどうでしょうか?

過去のブログ 18/AUG15

2015-08-26 19:07:35 | 日記
私の愛車遍歴-シティ・カブリオレ


私の三代目のクルマはシティ・カブリオレでした。

この頃は、和光研究所から栃木研究所に研究所ごと移転したので宇都宮市内に家族は住むことになりました。
そこはバスも何もなく、しかも山でクルマが無いと買い物にも行けないどころか、歩いて降りると必ず上がってこなきゃいけないので、車以外での外出はありえませんでした。

もう一台クルマが必要だけど、どうしようかと悩んでいた時に、ちょうど会社で特別な従業員販売があると発表されて、つまり割引がソコソコ有るということで、その車種リストの中に、シティ・カブリオレがあったのです。
シティ・カブリオレといえば、オープンで12色のボディーカラーが有るという当時は最高にオシャレなものでした。
さて、何色にしようかと考えてやっぱり「パステルブルー」か「ピンク」だなと落ち着いた時に、実は特別な従業員販売なので12色は無いということがわかり、ガッカリ。
結局、中でも意地を見せて微妙な「オレンジ」にしました。ATだと全く走らないと言う噂があったので、仕方なしにMTにしました。
私の世代は「オープンカー」なんて、憧れを通り越して自分の手で買えるなんて夢にも思ってなかったので、凄く嬉しかったのを覚えています。

それで、納車されると勇んでオープンにして、当時の家族(奥さんと小学生の女の子)を乗せて、宇都宮市内をさっそうと走ろうとしましたが、家のある山を降りた辺りから「幌閉めて」との要望が。
「何だと!!! これはオープンカーで、オープンにして走らなきゃ意味ないんだよ!!」「風をうけて気持ちいいだろう!!」と私。
「風が顔に凄くて1つも気持ち良くない」「髪も総立ちだし」「オープンにするなら、一人で乗って!!」と。

それ以来、家族で移動する時はもう一台のアコードになり、シティ・カブリオレは私専用の通勤車になってしまいました。
その後、一人で乗って何回かオープンにして走って気がついたのは、確かに「風を受けて気持よくない!!」。

最初の頃は舞い上がっていたから、気持ち良かっただけで冷静になれば、ひとつも気持ちよくない。冬は寒いし夏は暑くてベトベトするし、強いて言えば、夏の深夜ならなんとか気持ち良いとわかってきました。

結果、殆どの走行は幌を張ったものでした。
当時と言うか、昔の幌のクルマはオープン時の風じまいとか、ヒーターとか、なにも考えられていなかったのですね。
よって、2ndカーより3rdカー的だったんですね。

そう思いながら、フト出張でロスに行った時のオープンカーは気持ち良かったなと思い出しました。
クルマが大きいから、ドライバー席が埋まった用な感じで風があまり煩くないというのもありましたが、絶対的な差は「湿度」にあるとわかったのです。
カラッとしたロスの気候のもとでは、気持ちいいんです。
あとは、人間の体力差?で、彼らは夜の涼しいというか肌寒い時でも、平気で気持ち良いらしいのです。
そうこれは体感温度が異なるのでは無いかとおもうのです。
こう考えてくるとロスでオープンカーが多いのにも納得出来ました。

ロスは良いと言うか、日本の湿度が高すぎ(笑)。
この経験が、その後のデルソル開発につながりました。

過去のブログ 14/AUG15

2015-08-26 18:54:38 | 日記
クルマが売れなくなる理由

昨日のResponseに、「アルファロメオ、「GTV」を2018年に復活!?」という記事がありました。
私は、勿論アルファロメオ好き、大好きです。特にデザイン、スタイリング。
アルファロメオのデザインは勿論最高ですが、総じてやはりイタ車は良いですね。人間の生きる情熱を感じます。


乗ってみたいとは思いますが、買うトコまではいかない。
何故か? 
品質が理由ではありませんよ、最近イタ車も良くなってきたと聞きます。
それは「新しく無い」のです。

そこには、「その時代を引っ張るデザイン・スタイリングがあるだけ。」
つまり、「うわべのファッション的なものがあるだけ。」と感じてしまいます。

ハードで特に走行系の技術での進化が少しずつはしているのでしょうが「クルマの楽しさという形」で、感じられません。
何が言いたいかというと、「クルマ本来の楽しさ、魅力の進化」が、もうここ何十年も無いということなんです。

実は、ハードの走行系技術・性能は進化していますが日本ではその性能は殆ど享受できません。
高速道路でも100km/hがMax、渋滞、信号だらけの一般道路、の日本では走行の価値観はハンドリングやブレーキ、アクセル等の操作系の「フィール」「感触、感覚」、さらに操作に対するクルマの反応の「フィール」「感触、感覚」、という本来のクルマのハード性能と異なる「オタクなトコ」しか魅力を感じられません。
後は、デザインというファッション的な魅力ですね。
その後は単に「このブランドに乗ってる俺」的な魅力。

だから、日本人の車選びは「デザイン・スタイリング」中心というクルマの魅力の一部分しかなくなり、「クルマの魅力全体」を感じ取れないので、「クルマは時代から置いて行かれ」「一部の魅力でしか訴求できない、欠けた魅力の商品」なのではないかと思うのです。

クルマの魅力はスピードです。「高速移動を快適で安全に」

ただ、そのスピードも、アウトバーンのあるドイツでも、もう一般のドライバーが出せる限界を超えています。
だから、クルマにリミッターを付け、アウトバーンにも速度制限があり、無制限の部分は少なくなってきています。
メルセデスAMG GTなんて、すごいハード進化と思いますが、300km/hなんて「誰が出すの?」的な、人は置いて行かれて「クルマだけの進化」になってしまっているのではないでしょうか?



このクルマの魅力は、「ポテンシャル」なんですね。そこに魅力を感じて買ってくれれば良いじゃないか、実際はユーザーが実感出来ない、楽しめない、性能でもそれは「ポテンシャル」で良いじゃないか、という考え方ですね。
(ゴルフは下手だけど、お金持ち・・という人が買う、高性能クラブと同じかな? 笑。)

私が言いたいのは、勿論それでも良いですが、その魅力はそのクルマの一部分で、全体の魅力を体感できない商品って? 又それを買うということって・・・なんだ?
と思うのです。

だから、クルマは時代についていけてない、遅れた、過去の商品になってきているのではないかと思うのです。
このように、クルマ商品は今や、それ自体が持っていたはずの魅力の一部で勝負しているだけなのです。

よって、クルマが「自動運転化」していくのは、自明の理と私は思っています。