読み終えて「なんじゃこりゃあ!」 フリオ・コルタサル&『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』

2017年06月02日 | 
 「こいつは極上の『松田優作小説』だぞ」。

 そう欣喜雀躍したくなる本というのはあるもの。

 というと、「松田優作の小説? そんなのあるっけ?」と首をひねられる方もおられるかもしれないが、そういうことでは、もちろんない。

 私がいう松田優作小説とは、彼が出てくるのではなく、読み終えたときに、その内容のぶっ飛び方ゆえ、思わずジーパン刑事のように、

 「なんじゃこりゃあ!」

 そう叫んでしまう小説のことである。

 その発想、内容、特にオチの部分で思わず「なんじゃこりゃあ!」。ハズレで思わずということもあるけど、感心したりバカだったり、いい意味のところで出会えると、それはそれは極上の読書体験。

 たとえば、アルゼンチンの作家、フリオ・コルタサル。

 南米文学といえば、一時期ブームになったこともあったが(あったんです)、私が初めて読んだのが、コルタサルの『悪魔の涎・追い求める男』。

 ラテンアメリカ文学初体験のこの作品に、私はぐわわんと魂を打ち抜かれ、脳みそを揺さぶられた。それはまさに、私の知っている従来の「小説」というもののイメージを、ポーンと飛び越えたところにある異空間であった。

 俗にマジック・リアリズムと呼ばれるその独特の文体は、まるで麻薬を飲まされ酔わされたかのごとく、幻覚と幻視で目まいにおそわれる。

 訳者の木村榮一さんは「メビウスの輪」と表現しておられるが、フリオの作品は「幻想的」だが、どこまでがリアルで、どこからが幻想の入口かが判然とせず、呆然として立ちすくむ。

 その意味では、彼の小説は「樹海探検」のようでも「かたむいた家での生活」のようでもあり、まっすぐ歩いているはずなのに、いつのまにか崖から転がり落ちている。

 コンパスが効かず、ともかくも足元がふらつく感じ、そこがたまらない。

 文学とは、こんなにも自由なものなのかと感嘆。まさに「なんじゃこりゃあ!」な一冊。大げさでなく、読書人生オールタイムベストのナンバーワン候補だ。

 もう一冊はミステリで、ウィリアム・ブリテン『ジョン・ディクスン・カーを読んだ男』。

 カーといえば、ミステリ界きってのトリックスター。

 けれん味たっぷりのその作風は、絶賛する信者がいる反面、「ふざけとんのかボケ!」と本をたたきつける、まじめな人もいるという二者択一。

 平たくいえば「バカミス」キングなのだが、「王者」と呼ぶ人もいれば、からっきしな人もいて、賛否両論大きく分かれるドリアンのようなお人。

 また、そんな侃々諤々を高みから、いたずらっぽく見下ろしているのがカー先生という存在なのだ。

 そんなカー先生リスペクトの本作は、彼のミステリといえばコレということで密室殺人もの。

 カーを読んだ主人公が、カーにあこがれて(!)密室殺人を決行。

 その完璧なトリックに温泉気分でいた主人公だが、たったひとつ、彼は大きなミスを犯してしまった。その致命的な見落としとは……。

 基本的にミステリというのは、アイデア勝負だが、本作のラストは密室ものワンアイデアの極北にある、とんでもないもの。もう、これ一回こっきり。

 まさに本家カーのごとく「こうきたか」と爆笑するか、本を投げつけるか。というか、こう書いたら、カンのいいミステリファンはもうわかっちゃったかも。

 賛の人も非の人も、もれなく最後で「なんじゃこりゃあ!」な気分を存分に楽しめる小品。バカだなあ。


 (江戸川乱歩編に続く→こちら





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