小林美希の取材日記(つぶやき)

取材を通して思う素朴な疑問や、日々の出来事を紹介します。 

日記を取り出したきっかけ

2017-06-12 23:50:45 | Weblog

 さて、前回のブログ。本当に書こうと思ったのは、今回のこと。

 6月12日、沖縄県知事だった大田昌秀(おおた・まさひで)氏が亡くなったと知ったからだ。

 1999年5月3日、憲法の日。当時、神戸大学に通学していた私は、朝日新聞の神戸支局が開催した憲法のシンポジウムを聴きに行った。その時、大田氏が講演した。ノートによれば、「5・3 言論の自由を考える集会」。朝日新聞の神戸支局は、記者が銃弾に倒れた事件が起きていたため、その意味も込められていた。

 ノートに書かれたものによると、

 大田氏は、おきなわ復興のための予算について、戦後27年間で4兆5000万円(?)、1年の軍事費が4兆円

 自衛隊法について懸念。ベトナム戦争はまちがいと後から言われても・・・あえて発表したのは後世のため。同じ過ちを繰り返さないため。

 「構造的暴力」「基地の中に沖縄がある」

 在日・アイヌ・女性・沖縄 これらが存在する限り「平和」はありえない


 とメモが残っていた。

 戦後の復興予算と1年の軍事費が同じ額ということの矛盾、構造的暴力という言葉に考えさせられた記憶が鮮明に残る。

 が、ノートには、こうも書かれていた。

 「就職活動くらいで負けてちゃダメだなー。でも、やっぱ悩む。こういう集会に出ると、新聞記者もいーなーって思うけど、それは採用おちたからかも。大田さん見て、すごく憧れるけど、一政治家であることの力の限界を見せつけられてしまうと、また、わからなくなる。けど、けど・・・・・。でも、やっぱり、私は自分の使命感のためなら、死ぬ覚悟もできると思った。1年たって、やっぱり、まだ進路について悩んでいても、それでも、想いは変わらないな。ますます、強くなる。どうしよう・・・。」

 若い!
 不安定な日と元気を出している日が交互にある。

 「1つの道を選ばなくていい。私の生きる道は、1つじゃないもん」

 この頃、政治家になりたいと思っていながら一般人は無理だと思って、弁護士を目指すか、学者を目指すかと悩み、2年も浪人しちゃっていたから、時間もお金もないと思って就職=マスコミ志望だったんだなぁ。

 
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