カルカッタより愛を込めて・・・。

アピア40にて9月6日{水}に歌います。良かったら来てください!

マックが帰った。

2017-03-15 19:26:39 | Weblog
マックとは私と同じ調布教会に通う町田さんの事である。
Machida の最初の三文字をとって、海外にいる時にはMacと名乗っているようだ。
昨日は私だけ早く駅の仕事を終え、町田さんと十時半に待ち合せたマザーハウスに行った。
その前にディスペンサーに向かうイネス、マッセンシア、タダさん、その日から参加したメキシカンのベッティーにその後にする仕事を言い伝えた。
その内容は犬に噛まれた女の子プスゥポの治療と駅にいる歩けない老人を車イスでディスペンサーに運び、ビケを剃る事などだった。
町田さんとはタングラにいるダニエルに会いに行った。
町田さんはダニエルに震災のボランティアで会ってから、とても親しくしていて、一目でも良いから会いたいとの事でタングラまで連れて行く約束していた。
まずシアルダーまでバスで行き、降りた停留所の傍にあるマザーの最初のアパートに連れて行った。
町田さんはパチパチ写真を撮っていた。
シアルダーからはオートリクシャーでバイサリーシネマまで行き、そこから歩いて、シャンティダンに行き、同じ施設内にあらブラザーの施設(通称タングラ)に向かった。

ダニエルは外出中だったので、まずHIVの患者の施設に行き、プジャーに町田さんを会わせた、と言うか、私が会いたかったので、町田さんを連れて行った。
プジャーの様態は良いとは言えない状態だった。
両手は腫れ痛み、あまり動かす事が出来ず、足も悪く、一人ではベッドに座る事すら出来ない、たぶん、もう歩く事は出来ないだろうと思った、死も遠くはないとも思った。
隣の患者からは本名のオプジットと呼ばれていた、それが少し寂しかった。
ヒジュラー(オカマ)の名前のプジャーとは、普段誰も呼んでくれていない事が良く分かった。
プジャーはもしかすると、私とディスペンサーまで身体を洗うために、私の腕に捕まりながらゆっくりと歩いたのが彼女(私は彼女と呼びたい)の生涯で最後の歩行になるかも知れないと思った。
私はそんな事を何も考えていなかった事が無性に情けなくも感じた。
しかし私たちの会話は冗談を言い合い、笑い合う会話であった。
私の前ではプジャーはプジャーで居られた。

それから少し待っているとアンビランスでプレンダンからシリアスなHIVの患者が一人が来た。

そしてダニエルがゲートの方から歩いて来て、私を見ると両手を広げて笑みを浮かべて近付いて来た。
それから少し離れた場所にいた町田さんを見ると、ほんとうにびっくりして、嬉しがっていた。
そのまま私たちは他のブラザーたちと一緒に昼食を食べた。
町田さんは日本にいるダニエルの友達のため、また晴佐久神父のためにダニエルのビデオレターを撮った。
とても良いお土産が出来たと、町田さんはとても喜んでいた。
ダニエルは私たちを長い間、見送ってくれた。
もしかすると、これが町田さんとダニエルが会うのが最後になるかも知れないとも思った。

町田さんの空港までのタクシーを私は二時半に用意し、私たちは別れた。
町田さんはわざわざ空港から、お世話になりましたと電話をくれた。

今日、イネスにマックが昨日帰ったと言うと、サヨナラを言えなかったと寂しがっていた。
ケンは前夜に別れを言い、三人で写真を撮っていた。
ケンもイネスもマックをとても気に入っていた。
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