クラシックな音楽的生活

日々、家の中にヴァイオリンとピアノの音が流れています。

同部屋だった3人で

2016-06-26 | 上の娘ごと
      
今日は上の娘、ディズニーランドへ出かけました。

友達2人と2ヶ月も前から約束していたそうです。

音大生3人(真面目に頑張っている学生に限りますが)が、

さあ、一緒に遊ぼう!となって、

3人ともが丸一日完全に空いている日を探すというのはなかなか至難の業。

ようやく見つけた大切な一日が今日のこの日。

梅雨の晴れ間に当たってラッキーでした。

上の娘は小さい頃から、最強の晴れ女なのです。

今日のメンバーは、付属高校時代、娘が1年間寮生活をした時の同部屋の2人。

3人とも学年が違います。

「上海Chinoiserie」の頃から読み続けてくださっている方は

覚えていらっしゃるかなと思いますが、

上の娘は、高校1年生までを上海日本人学校高等部で過ごしました。

が、勉強一辺倒になりがちな進学校の高校生活に違和感を感じ始め、

悩んだ末に決意。

1年生の2月に一時帰国して、音大付属高校の編入試験を受けました。

無事に合格を頂き、2年生の4月より通い始めることになりました。

その時、夫の上海赴任はまだ継続中でしたし、

下の娘も中学3年生という大切な時期。

よくよく話し合った上で、上の娘を1年間寮に入れることに決めたのでした。

付属高校には日本全国から生徒が集まってくるので、

そうした生徒たちのために高校のすぐそばに食事付の寮が備わっているのです。

シンガポールで生まれ、4歳まで過ごし、いったん帰国。

7歳でフランスに渡り、14歳まで過ごし、そのまま上海に横移動、

16歳まで過ごすという、人生のほとんどを海外で過ごしてきた上の娘。

日本で暮らしたのは幼少期のわずか3年ほど。

海外駐在中は一時帰国を何度かしてはいましたが、

日本での行動はほとんど私と一緒で、一人で東京の街を歩いたり、

一人で電車に乗ったこともありませんでした。

東京の地名や地理さえも知らず、日本の物価もわからないまま、

いきなり一人暮らしをさせるのは、それはそれは不安ではありましたが、

上の娘という人間を見るに、まあ何とかやってくれそうだという妙な安心感

もまたありました。

その1年後には、夫に帰国の辞令が下りなくとも、

高校生になる下の娘と私で帰国するという約束で、

16歳の娘の寮生活は始まったのです。



今日の午後2時ごろの空。

      

晴れていましたが、一時雲行きが怪しくなった時。

雲の間から光の柱が見えました。



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