Bread of Life

ディボーションタイムを助ける聖書講解

幸せの発見NO4 「患難をも喜んでいる」(ロマ5:3)

2017-07-23 15:17:42 | Weblog
ある雑誌に掲載されていたプロバスケットプレイヤー田臥勇太選手の記事に興味深い記述を見つけました。彼は日本人で唯一アメリカのNBAでプレイした希有なアスリートです。しかし40才にとどく年齢のハンディにどう取り組んでいるのかが最初の質問でした。さらに幾つかの質問が続きましたその回答がこれです。
「昔と同じようにやっていたらとてもじゃ持ちません。今の状況だからこそ何が出来るかを考えることが楽しみなのです」「ペースが乱れた時もどう対応するかがとても大事だし、そのこと自体をとても楽しんでいます。」「若いときは身長が低い分スピードで勝負しなければと思っていました。今は、若いときほどスピードは出せませんが経験で補います。その全ての根本にあるのはバスケットボールが好きだということです」彼のトレードマーク「ノールックパス」もこうして生まれたのでしょう。
 その回答に共通した顕著な言葉がみられるのに気がつかれるでしょう。それは質問者が期待した「一生懸命苦しみつつ取り組んでいます」というストイックな回答に反して田臥選手はリラックスした表情で「それを楽しんでいます」と応えたことです。
 NBAに参加するチームはパフォーマンスが良くなければコーチから即座に「明日からは来なくていい」と言い渡される厳しいチームです。そこで選手の座を獲得する戦いは熾烈を極め臥薪嘗胆はつねでしょう。でも彼は「それを楽しみました」と言い切るのです。 
煩わしい事は後回しにしたくなりませんか。楽に出来る事から取り組めば良いというのも1つの考え方ですが、逃げに通じやすいのも事実です。 
逆に煩わしい事を最初に片付けると、あとはとても楽になるものです。その原動力は煩わしさを楽しみと真逆の形容詞に置き換えることから得られます。
「この日を喜ぼう」という詩篇112篇はその哲学を示唆しているのです。
主イエスが常識的には耐えがたい十字架の試練を超えていかれたのは、奥歯がすり切れるほど食いしばりながら耐えられたのではなく、その前におかれているこの上も無い楽しみにフォーカスされたからだとヘブル書は教えています。(ヘブル12:2)
クリスチャン達がそれぞれの立場で「私はクリスチャン生活を楽しんでいる、私は幸せを日々受け止めながら過ごしています」とあらゆる場面で言い切れたなら素晴らしい神の栄光となるでしょう。
貴方にはその喜びのDNAがすでに聖霊によって届けられています(ロマ5:3~:5)。だから貴方も「この日を喜びます」と宣言して生きる事が出来ると信じます。如何ですか。

(8月はお休みです。黙想の時となさって下さい)

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