つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

よい事なんてないと思えば・・・

2007-06-18 | Weblog
世の中にそうそうよい事はない。
この世は
一切皆苦であるから、
よい事があったら、
有り難いこととして
一歩も二歩も下がって
敬うべき。
有り難いことだから、
感謝の念を忘れないで
謹んで生きていくこと。
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大切だから

2007-06-16 | Weblog
大切なものは
そっと持たなければいけない。
大切だから
逃がしてはいけないと思い
ギュッと握り締めたら
大切なものは壊れてしまう。
静かに、大事に持たなければいけない。
大切なものというのは
そのように扱う。そうっとそうっと。
優しく、穏やかに。
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善き出会いを・・・

2007-06-15 | Weblog
慎ましく倹しく生きている人。世に言う
好ましくない事はしないで、真面目。
だからとて、堅物で融通のきかない奴というのではなく、
茶目っ気があり、悪気の無い人。
実に、気を配り、
場を読み、
相手を立て敬う。
とても優しく生きる人。
特に、
悲しいこと、淋しいこと、
辛い切ない思いに
気がかかり、
思いを注ぐ。
我が身にあてはめて
胸を痛める。
質素で、穏やかで
飾らないのに、
華やかでとても綺麗。
いつも
ささやかな私にも
気を使う人。
とても
優しく生きている人もいる。
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気づくこと

2007-06-14 | Weblog
人には善悪がある。
善い事と悪い事が
してよい事と、して悪いことに分かれるのは、
それ相応の意味があってのこと。
意味なくして
何の善悪か。
善悪に意味がないのなら、なし易い悪が善となり、
善が悪になるはずだ。
そうすれば、悪だらけの世界となって、
耐え忍び、努力の意味もなし。

悪が栄えたためしは無く、
また、
悪を為した事の報いは悪であるために、
道理を知る人は、
まえもって
悪は為さない。
‘巡り巡って’が単純に行為の理。
今起こっていることは、昔の光。
忘れてしまっているだけで、
意味あって、自分に現れている。
よい事も悪い事も、嬉しい事も悲しいことも、
昔の自分の為したこと。
それは、さっきの事かもしれないし、十年前の事かもしれない。
生まれる前の事かもしれない。
一瞬過ぎ去って、すべて昔の事柄。

悲惨なところに生まれて、悲惨な思いをしていても、
これからの
思いによって、その行為によって
悲惨な場は変えられる。
‘気づいて、’
救いの門はささやかに開かれる。
小さな隙間は、やがて
大きくなるように、
開かれし扉は開かれる。
気付きの門をくぐって、
けっしてその扉を閉めてはいけない。
悪と善が分かれるところ、
不幸と幸福の関だから。

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うまいものは自分が食べる

2007-06-13 | Weblog
いつも柳の下に泥鰌はいないものであるが、
自分の置かれたブルーなタイミングによって、美味しい話に食いつく。
都合のよいことなど日頃ほとんどないものを、ころりと忘れて、
都合のよいように食らいつく。
悲しければ悲しいほど、淋しければ淋しいほど、悩んでいれば悩んでいるほど、
そこから急いでのがれようとして、更に深まる。
そのために慌てる。慌てるところには良いことは起こらない。
「溺れる者は藁をもつかむ」、挙句、溺れる。
お金の無い人は、お金を得ようと更にお金をとられてしまう。
世にうまい話はないと知りながら、うまいものを食べようとして、
自分がエサになる。
人の世も 弱肉強食、獣の世界と変わらない。
疑似の世界、擬餌の世界、情けない世界。
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備えあれば・・・

2007-06-12 | Weblog
大事なものでもしまいこんでは役立たず、
役に立つから 自分にとって大事なものとしてあるのだから、
常に使って価値となる。
綺麗な洋服をたくさん買った娘は、今度のためにとタンスにしまう。
タンスの中は娘の宝物でいっぱいだが、
ただ眠ってくすんでいくのがほとんどで、宝の持ち腐れ状態。
明日、この娘は世にいるとは限らないものを、いつも‘今度’のためと
すぐ使わない。
明日は不定なのに、誰もそう思わず生きているが、今死んだ人も、
先の時間が決定されていると直前まで思っていた。
不定である先の時間に備えて、常に今を飾って動いていれば
憂いはなく、大事なものは生かされて その価値を得るのだが・・・
今為すべきことを為して備えとなる。
物の蓄えなど価値とはならず、備えともならない。

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夢を見ている

2007-06-11 | Weblog
昨日も今日も同じであるが、
昨日の私はここにはいない。
昨日の私は昨日の中だけにいて、
昨日から出る事がない。そして、今日の私は
昨日には二度と戻れない。
今日の私は
明日の私につながるが、今日の私は
明日にはいない。
明日の私は
今日の私ではないために、明日の私は
今日にはいない。
昨日の私は今日の私につながって、今日の私は明日の私につながっているが、
そのままもとの私はどこにもいない。
大人の私が子供の私を見るように、どちらも私でありながら
私ではない。
実体がありながら幻で、陽炎のようにそこにある。
僅かな間なのだが つながって‘ある’を形作っているだけで、
実体に私と呼べるものがない。
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何物も持たない

2007-06-10 | Weblog
物の執着をはずして、
何物も持たない。
欲を捨てて楽を得る。
物の富は泡沫なのに、それに浸って 我は優れし者なりと思えども、
命の糧となることもなし、哀れにただ餓鬼の如し。
姿形を離れて、こころを磨き、こころの豊かさを養えば
自ずと姿形は輝いて、この世の美を越えて優雅になる。それは、
心の記憶の現象となるために、衰える事がない。
こころには老化がなく いつも若い。だから、
泡沫の物から離れて、こころを養え。
こころの豊かさは、命の糧となって
魂の幸せを創る。
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動け

2007-06-10 | Weblog
恋をするな、愛するな。
恋愛は煩悩。煩悩をなくして、心の安住を図れ。

何もしないで悔いるより、何かを為して燈明を得る。
恋をして愛して
心の優しさを養う。
優しさは幸せの元。

人は、何かを為して悔いるより、何もしなかった事に多く悔いるという。
生きているのだもの、恋をして、愛して、哀しみを知り、苦しみを知り、そして、
慈しむことを知る。
苦しみから楽が生まれるように、煩悩より
幸せのきっかけが生まれる。
煩悩をして煩悩を滅して、幸せをつかめ。

キリストは「汝の隣人を愛せよ」と愛することを説き、
釈迦は何ものも愛するなと説く。
正反対に見えるが、キリストも釈迦もまったく同じ幸せをの導を説いている。

人は、何も知らないために悪をつくり、善を知る。
この世は、悪が創られる所であるために、
善を見つけられるところでもある。

愛は煩悩、愛は悪、だから愛をして愛を見つける。
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力を持つ人

2007-06-09 | Weblog
君が好きだと真剣に思う。
ただ誠実にそう思うから嬉しい。
君と一緒にいる事が幸せなことだから、
君と一緒にいられたら幸せになる。
間違いなく一人の人間が幸せになる。
間違いなく一人の人間を君は幸せにできる力を持っている。
私はそれを確かに知っている。
誠は力となって理解を得て
念いの清浄は以心伝心、
願いは叶う。
心念の力こそ
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