つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

実体という曖昧?

2016-02-17 | Weblog
水を空中に放り投げれば球になる。
つまり、円。まるい形になる。
これが道理の形である。
エネルギーの法則の形である。
そのために、全てがこの形で動いている。
この形の存在であるために、
天空に浮かぶ星々も円い容となっている。
それは、どこが始まりでどこが終わりかということが無いものとなっているかたちである。
どこもかしこも同じとなっていて隔てが無い。そのために、
どこが中心でどこが縁なのか計れないものとなっている。
ただ、一日が一旦という区切りをもって終始しているように、新旧の入れ替わる部分というところの
特異な間合いがある。点と言おうか、場、或は間と言おうか・。それを知りあてるのは限りなく不可能であるが、曖昧として見分けることは可能である。
それは、昨日が今日に、今日が明日に繋がっていくように、どことはなしに変化している様を時に表して、
零時から一時と明確な変化を伝えるが、実は、曖昧にして繋がっているのである。
滲みながらという言い方が当てはまるのだろうと思う。
時に、世というのは、曖昧にして、しかし、明確に実体として感じられるのである。
それは、私が私であることを私自身が知らないようなものである。
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