つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

嵐の前は静かなものだ

2017-05-18 | Weblog
世の中は本当に乱れてきていて、
悪事を企てるものは淡々と機をうかがっている。
百年目のスタートは切られた。
今一時、嵐の前の静けさなのだろう、今秋までにはざわめくことだろう。
偽善にあるものは、大衆にある(まさか)というサプライズの坂を上り始める。
そして、浅ましさとその醜さを露呈して、一気に転がり落ちてくる。
巷では口々に世も末と嘆くが、今に始まったことではない事の成り行きに、
またまた対岸の火事のような様を示すものである。しかしながら、事の次第が
進むにつれて大災となり、次元の転換の機は熟した。
焦るものと鈍感なものとは、事を為損じ置き去りとなり、
その様は地獄絵となって、次元上昇したものに示される。
彼らは、天空よりその様を見て、火宅の人の哀れを今更ながら思い知る。
日々は、何でもないように過行くために、案ずるより産むが易しに慣らされて、
日々のサプライズ事に敏感に反応することがない。

立派な立場にいる人が、あるいは、清純であるイメージにいる人が、
あるいは、正義としての権力の側にある人が、真逆(まさか)の坂を上り、
そして、瞬く間に下り落ちる様を見聞きしてはいないか?それも、なんとなく頻繁に。
疑惑は、崖のほころびのようにちょろちょろとはじまり、一気に崩れ落ちてくるものである。
(まさか)の坂も、継ぎ足し継ぎ足し日常のように足されると、脆さに気づけなくなるものだ。

真実にあるものは今、火消しに忙しくその準備を整える。
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