つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

じねん(自然)みずからしかあり

2017-10-25 | Weblog
太陽が、砂粒よりも小さく見えるほどの巨大な星があり、
そんな星にも生命がいて、それも、人類よりも知的に優れて、
また、星に見合った大きな人型生命体である。その巨大さは、
人類からは一見することができないほどである。
彼等からすれば、人類は菌のような微細な存在になってしまう。
あまりに世界が違うが、その観は人類とそれほど違うものではない。
知能の違いはずば抜けているが、全知全能とまでは至っていない。
人類からすれば、全知全能と捉えられるが、隙がないわけではない。
ただ巧妙にして道理に沿うものであるために、無敵に等しい。
自由というエネルギーにあるために、曖昧性の憂いはある。
由って希望も具える。
人類が見るマクロとミクロの世界観を知るなら、
彼等の存在も理解し難いものではない。
一事が万事に繋がっているのは、宇宙が唯一のエネルギーから
成っているためである。だから、エネルギーの理、自由を覚って、
大小共に兼ねあっているとして、謎は解き明かすことができていくものとなっている。
人という字が支えあって成っているように、持ちつ持たれつの時々であることを、
大いに思うことである。
生命は進化して、人型が黄金比となっている。
知的にある者の姿である。それが自然である。
だから、
知的生命体である神々は、自分に似せて人類を創造したと示し申したのである。
その神々は、エネルギーの自由から生じているのである。
それは、人類が人工知能を作り、自らに曖昧性を克服していくことを操作するようなものである。
順次その性質に似せて、性格を作りあげていくようになっているのである。

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