つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

間違いだらけの・・・

2016-11-26 | Weblog
凡そ、人間というのは、間違いだらけの習慣をもって生きているものだ。
今までやっていたことが常識としてみなし、その慣習に浸り暮していても、
どことなくとりえもないものとしてあり、時の流れに流されては、それなりに老いていくものである。
あそこが痛くなった、ここが悪くなったと一年と経つうちに、
思いと裏腹が顕著になり、仕方なさに明け暮れるのみである。そしては、直に
病に完全に倒れて、朽ち果てていくものである。肉体は悪化の一途をたどるだけである。
が、精神は同調するものではなく、老いにはのみ込まれないものとしてあるもので、
同調していくと思えば、ただ一途に老け込むものとなる。
多くは精神が肉体に支配されて、同一化していくために、何もかもが空しいものとなっていく。
健康な肉体に宿る健康な精神がそもそもではあるが、精神は肉体と離れて生きているものである。
だから、肉体の強弱にとらわれることなく、精神は発達進化できるものである。
人の思い、常識としている間違った想いが、肉体の強弱に左右されてしまっているのである。
肉体はただの肉の塊である。精神向上のための媒体に過ぎないもので、
それ故、大切なものではあるが、肉体が支配するものではなく、つまり、生命そのものではない。
それゆえに、 精神が生命であり、心が生命である。精神を鍛えて心の在り方を正しくもっていけば、
死というのが恐怖となることはなく、むしろ、生命世界確立の希望となっていくものである。
そのために、生命は死を絶対条件として誕生するものである。つまり、もともと人は、
死ぬために生まれることこそが真実で、あの世こそ生命の幸不幸の真実である。
この世は、死ぬための目的で生きていく世界となっている。
どう生き死ぬかが生命エネルギーの目的である。ちなみに、
苦しくて死んでいくものは、ただ苦を流転する。あの世もそのまま苦となっている。
無知にして、あの世が逝ってみなければわからないと、不安、恐怖を思えば、
心のままとなる。
ライオンがトラが、自分よりも弱いものを襲い食料としても、
それは、彼らの正しい行為であり、何一つその行為に悪意はなく罪はない。
以って、彼等には死後、地獄という世界は無い。
ただ弱肉強食の世界の流転にあるのみである。
同じ世界を行き来するのみである。
さて、
このことを理解して、人は、精神向上に努め励み、
死後の世界の幸福のために生きることである。
すれば、どのように生きていけばよいか、正しい判断ができてくるものである。
悪いことなど進んでしようなどと微塵も思わないものである。

多くは死後の世界の不幸を味わうもので、苦るしみの流転にある者として生きてしまう。
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