つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

2016-10-01 | Weblog
木星を回る星から水が噴き出ているのでは、という映像が流れた。
そうすれば、当然ながら生物がいるのではと
にわかに生命の探索に沸いている。
この現代において、建前と本音で生きている人間は、
時代にそぐわないことが多々あって、公では原始的な見方でしか伝えられていない。
いや、そうでもしないと、
浅はかで生きている人の多い世界はパニックが起こり、
かえってよろしくない事態が起こるもので、そんな配慮から、
牛歩の歩みの様な、また、石橋をよくたたいて渡るような報道がなされる。
人間は実のところ、自分以外はあまりわからない、また、信用してないもので、いやいや、
自分さへもよくわからないで生きているものである為に、
周りのこともほとんどにして無知で生きている。
簡単に言えば、自分の存在が不思議なものである為に、他の存在も不思議にあって当然と
計れるものであるが、自分だけは特殊で特別な在り方の偶然でもっての存在だと見てしまう。
そこが根本の誤りである。

生命エネルギーは、外部の刺激に対応して生じている。
その刺激はあまりにも様々で、それこそ自由というもので成り立っているために、
一つの生命を見て、ほぼ全般に当てはまるのではというものではない。
簡単に言えば環境に応じて生じているもので、
それは、エネルギーの存在というものから始まっている。
エネルギーがあるからであり、それが自由という性質で、何もかもがこの自由から
生じるのである。言い方が当てはまるかどうかであるが、言葉にすれば自由エネルギーが、
全知であり全能という事である。神仏は人というものが捉えた(据えた)存在で、エネルギーの下の存在である。
ただ、人よりはるかに優れてある存在で、エネルギーの道理をよく理解しているものである。
人と同じく進化の過程にあるに過ぎないものである。
神々と呼ばれるのは、
人に人種があるように、様々な生命があるように、進化の度合いがあるように、種々雑多いるためである。
その中には良いも悪いもいるのである。神は神でも善神と悪神がいるものである。
人に善い人と悪い人がいる様に、また、他の生命においてもそうであるように、
温厚なものと荒いものがいるのである。
人が他の動植物を調教したり改良したりして、人の為に操るのと同じように、
神々も同じことを行う。まだ自分達よりも下等なものを、自分たちの益になるように操作するものである。
それが善神であればよいが、悪神であるならいかがだろうか?

他の惑星に、高度に発達した生命体がいても何ら不思議ではないのである。
人間が地上に存在する以前から存在していて、進化を遂げている生命がいても何ら不思議ではない。
自由に天空を舞い、他の惑星に探索に出かけていても全く不思議ではない。

赤ん坊が育つように、いろいろ教え、役立つように、為になるようにして、やがて、赤ん坊は、
教えてくれたものを敬う。
父親を威厳のあるものと見る様に、母親を慕うように、育てたものに敬意を持つのである。
地上は神々に操られ、まだ、その管理下にある。さしも、
あなた方が主役であると、陰で黒子のように。







ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 記憶のエネルギー=魂 | トップ | ニネベ定数 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL