つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

なぜ生きる?は・・・

2017-06-18 | Weblog
権力の座にあるものが悪事を為す。
正義の隠れ蓑をつかうためになかなか手ごわい。
こういうものが巨悪である。
人間社会では偽善にして噓八百が通ったとしても、
死を免れる人間はいない。たかだか八十年ほどの人生の終を
むかえるとき、言いしれない恐怖が襲い掛かる。
これから終わりのない死後の世界が訪れるのであるから。
死後の世界は時間を持たない世界である。
人生八十年など一秒にも満たない時の流れである。
永遠ともいえる死後の世界で、人生八十年の報いを受けていく。
悪業に対しては、それこそ苦の一字にある。
善業に対しては、楽の一字にある。
この死後の世界が生命の真実の世界であり、
絶対世界となるるために、死後の世界のために
一生涯があるのである。
なぜ生きる?は死後の世界を幸せにするためで、
死後の世界こそが生命の本当の世界なのである。
それを知らないで、死んだら何もかも終わりとして生きるために、
間違った人生を歩むのである。
人を騙し、蹴とばし、誰よりも偉くなりたいとして、そのためには
手段を択ばず悪事も厭わないでする。
現世がよければ何でもありとして生きる。
なぜ努力があるのか、苦があるのか、楽があるのか、死後の世界を理解できないために、
答えが見いだせないのである。
生命がこの世限りであるなら、努力なんていらないし、悪事を働いてよい思いをしたほうがよいではないか。
この世が、悪いことは為しやすく、良いことが為し難いのはなぜであるかをよく考えることである。
生命は連綿である。死後の世界こそ、生命の真実の世界であるために、
その真実の世界を幸せとするために人生があるのである。
だから、人は、生命は、死ぬために生まれるのであるといえる。
生命に死がないのは、エネルギーの法則が終わりのない法則となっているためである。
一日が一旦という区切りをもって明日につながっていることは紛れもない事実であり、現実である。
明日が来なかったという日はなかったように、そして、これからもないように、
エネルギーの法則というのは、なくなることのない法則となっているのである。
なぜなら円運動であるためで、だから、世の形は円くなっているではないか。
それがトーラス状といい、環状体状エネルギーであるためである。
その質が自由からきている。だから、すべてが巡っていて無常となり、
元に戻りながらとして維持されているのである。
よって、減りもしないし増えもしない。何も変わらないのである。
だから、永遠といい時間も空間もなく常住なのである。
これがエネルギーの法則であり、自由からなっている。
すべてがこの自由の下の存在である。
神も仏もこの自由の下の存在であるために、全知全能ではない。
ただ回る。だから、絶対となり善悪もない。
よって、絶対善として存在となっている自由である。
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