つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

極楽浄土

2017-04-23 | Weblog
・・外部の刺激を受けて想行識となっていく。
想とは、想念のこと。行とは、行為のことであり経験の行為のこと。
識とは、記憶のこと。記憶が知識となっていくもので、この記憶が統一されて想念となっている。
五蘊というのは、眼耳鼻舌身の五つの器官、つまり五官のエネルギーである。
五蘊の蘊とは、蓄積されたエネルギーのことを言い、五官による行為の集積されたエネルギーのことである。
この五官の行為と、生命エネルギー(法則のエネルギー)そのものの行為、
つまり、無くなることのない円運動のエネルギー、このエネルギーの行為を絶対行為といい、
外部からの刺激に反応して動く五官の行為と、生命エネルギーの絶対行為の二つのエネルギーのことを五蘊としている。
「五蘊皆空」というのは、人の行為がすべて空の世界、いわゆる死後の世界となっていくとしているものである。
端的に言えば、人が生きていくという事は、死後の世界の為にあるという事である。
どういうことかといえば、生命エネルギーに死が無い為に、
生の持つ絶対条件としてある死後の世界を幸せにする為に、人生としの一生涯なのである。
一生涯である為に、仕合せとなるまでは何度も生まれ変わる。
仕合せとなれば、生命エネルギー、つまり法則のエネルギーを覚ることになるために、
反省もなく苦となることが無い。生命エネルギーが、生まれ変わることを必要としなくなるのである。
これこそ輪廻からの解脱であり、苦からの解脱である。
永遠に変わることのない世界、時間空間のない世界へと辿り着く。そこは、極楽浄土である。
人は死ぬために生まれるものであって、死後の世界、魂の真実の世界を幸福とするために、
この世に生を受けて人生を歩むのである。間違った生き方をすれば、
なんどもなんども際限なく生まれ変わる。その業によって、魂の知らねばならないことを知る為に、
我が身の業によってそれなりのところに生まれ変わる。生まれ変わるのは一切皆苦である。
一切皆苦の世界であるために、人生は苦しいの一言に尽きる。だから、
正しい生き方をしなければならないのだが、煩悩具足の人間、ほぼ間違った生き方をするものである。
それは、偏にエネルギーの法則に無知なまま過ごすためである。
人生は、今生の幸せのためにあるのではない。魂の世界、死後の世界の為に生きていくのである。
自分にとって、今生が幸せな人生となったとしても、他人を押しのけて得てきた幸福であるなら、
それは間違った人生である。来生は、他人に押しのけられた人生を送ることになる。
何かを犠牲にしてなり得る世の中に於いては、決して魂の幸福を得られることはないのである。・・・
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