つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

円の気、阿と呍

2017-08-15 | Weblog
縁離留と縁気は阿云の下より現れて、
その質の違いから、確執を持つ。
この確執は第三の智者によって解決に至るが、
円離留と縁気は、自分たちも未だ見たことのない力に、
為す術がなく阿云の力を求めるも、阿云とて、
次元の違う力に太刀打ちできないことを察知、
ただひれ伏すのみである。
力の差は宇宙のごとく広大にしてあり、
悉く傲慢さを打ち砕く。
謙虚に勝る力はなく、負けを知らないものに
平穏がないことを示し、
力の誇示を訝る。
怖いもの知らずは、やがて、立ち上がることを奪われて、
ふたたびを得ず、劫を要して反省に与る。

如何なるものも頂点はなく、同等を理解しなければならない。
法は非情である。
生命の情に動かされることは無い。
ただ慈悲をもって対立にあるものである。
この慈と悲の選択は自由であり、生命エネルギーの自由に
任せられてある。

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今更の過ちと切っ掛け

2017-08-15 | Weblog
いまさら、事の重大さに慌てふためいて、
この期に及んで愛情表現をしても焼け石に水、
投げかけた愛情は飛び散り、むなしいばかりである。
望みが成就するには、
普段から不断の努力がなされての可能性である。
急きょは、ほころびの間に合わせであるために、まもなく
という時間稼ぎである。
偽善であることの愛情表現は、もちろん成就することは無い。
矛盾は、姑息にして場を逃れるが、虚しいものである。
人々は先人に学び、過去に未来にその場しのぎの顛末を知るも、
常に未来は不定にして、過去から分断しているとみるために
学習に至らず、ただその場の分析に終始して、未来の選択を過つ。
争いは人間の歴史。その顛末は、
「そして、誰もいなくなった。」に終止するだけである。

魂は不滅である。
神々はそのことを知っていて、
肉体の不死は、刹那の長短に過ぎないことを訓えるには、
時にあらずとしている。
無常にあっての流れが掟となるために、
常住は無常を理解して定まる。
今はただ、魂の救いにして、現世の救いを訓えているのではない。
あなたがたには、もう現世の救いはなく、
魂の救いだけであると宗教としてある。
不滅である魂の浄化をただ望んで、神々は眺めるものである。





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