つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

知見

2016-04-07 | Weblog
学者として認められているものでも、
真に、その人のいう事が正しいものとは限らない。
人が人たる者として認め、作り上げている
ある基準に達している知識深い人としての見識であっても、
人たる者が認めているに過ぎない基準は、ただ曖昧なものでもある。
人たる者は、人だものという貴賤さを臨機に於いて持つ。
相憐れむものの内にある。

この宇宙が、ただの一つとして留まるものでは無いもので、
廻りながら回るものである為に、未来も過去もそして現在も同じくしてある。
そのために、隔たりというのは無く、変化に於いて、時の現れが知れるものでもある。
その時々に於いて、ありとあらゆる場面があるもので、それはまた、
自業自得にして変わるが、衆縁和合としてのありかたは、悟ることの一事につきる。
もし、悟ることができれば、自業自得も良縁にして和合となる。

悟るとは、何を悟ることなのか?
「現在あるこの身を知った」ということである。それはどういうことかと言えば、
今の自分は突然にして現れたものではなく、
過去にわたって何世代もの命の繋がりによって現れているものであるということである。
それはなぜかといえば、エネルギーの法則が円運動であり、止まることのない動きである為に、
無くなることのないものとなっているためである。
あの人生、この人生と、幾多、久遠にわたって生きてきた現れであると知ったことである。
それが「我以知見」の知見である。つまり、法則を悟ったのである。

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法のつれないそぶり

2016-04-07 | Weblog
特に最近思うことだが、心の優しさが失われてきているように思う。
お金のあるなしで信用が計られ、お金持ちにひれ伏して生きていかなければならない世の中なようだ。
銀行とかは特に、お金の無い人、いわゆる貧乏人にはそっけないものだ。
どんなに人柄がよくても、お金を持っていなければ、つれないつれない、これほどつれないものはないというほどである。
人格というのは何だろう?

人格=その人の物の考え方や行動の上に反映する、人間としてのありかた。
「好ましいか、好ましくないかという観点から見たもの」、
人柄がよいという点で敬愛される人。
立派な人格を備えており、多くの人の模範とされる人。等々、辞書にある。

世の中、ただ、お金ですべて?が動いているような気がする。
人格がどうのこうのと述べられても、先立つお金がなければ人は動かない世の中となっている。
それは、哀しいかなと思えども、事実現実は、お金で生活が成り立っているために、
お金さえあれば、愛が無くとも悪党といえど、正義の衣を着ることができている。
でも、ぎらついた輝きで、偽善たるものとして露骨に恐ろしく見えるものである。

近年、世の不穏な動きが感じられるのは、
浄化という道理にある淘汰の動きなのだろうか。
愛が無い以上
もう無理という法則のつれないそぶり?

金金金と走る人の心の無さによる、とどのつまりと感じるものである。
灰皿と金は溜まればたまるほど汚くなるというのは、しみじみそう思う。
お金に支配された世の中の行く先は、ただ行き止まりである。

たまるものは腐るのが道理でもある。
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