つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

受信機が無いため、一方通行・・・

2006-03-07 | Weblog
 テレビでもラジオでも24時間放送されていて、
様々に情報が行き交っている。 眼には見えない電波で。
放送はされていても、受ける側が聞いていなければ、或いは聞かなければ、はたまた、受け手がいなければ無いに等しい。

これと同じように、正しい教えは、常に発信されている。
四六時中、いたるところに。様々な事柄として、
楽しいことや、苦しいことに形を変えて。

それぞれの業によってもたらされた結果として、何かを知らなければならなかったために、それに応じた出来事が起きる。教えられている。
そして、その起こった出来事に対して、どのように思い、対処して行ったか。
その対処した行為によって、また縁は創られていく。
再び、苦しみの世界を繰り返すのか、そこから抜け出せるのか、常に
問いただしている。その切ない思いの世界から抜け出せる、チャンスをあたえられているのであるが・・・、人はそうは思わない。
起こった事柄に対して、ただほくそ笑んだり、傲慢になったり、怒り、憎しんだり、
ただただかなしんだり・・・。

亦、今が幸せと思えるところにいたとしても、それをわきまえず、
有頂天になって、羽目をはずしていると、そこから抜け出てしまうことでもある。

この世は、自分の無知によってもたらされている世界であるために、苦しみの世界となっている。そのためにそこから抜け出せるように、常に問われている。
行為が、縁を創っていくことを知り、完全に悟った者には、問いかけは無い。
苦しみとなる事柄は起こらない。

事柄が、仏の姿形を含んでいて、いつも発信されているが、
送信機があっても、受信機が無ければ意味をなさないように、
この世では、ほとんど一方通行となっていて、救われない世界となっている。
そのために、人は流転する。

コメント
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