菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

霊の問題について考える

2017年04月29日 21時59分11秒 | 日々の雑感
 昨日も書いたが、自分の葬儀をどのようにするかを決めなくてはならないと、仮説実験授業の研究仲間である山路敏英さん(元中学校教師、現・明星大学非常勤講師)が編集した「あなた お葬式 どうする?」と題する本を買い求めました。副題として「無神論者の葬式について考えるための資料集」となっています。

 昨日の「死んだらどうなるか」は、その巻頭の文章です。

今日は、戦闘的原子論者・板倉氏の「霊」の考え方を紹介します。

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 「霊」の問題を否定的に書いている本がない

 「≪霊≫について否定的に書いてある本」を読んだことがありますか。
 霊のことを肯定的に書いてある本は、今は沢山出ていますね。つまり、肯定的に書くのは黙認ですが、否定的に書くと総攻撃される心配があります。特に、学校教育なんかでやると、問題になる心配があるんです。今は、「霊が存在する」「守護霊がどうの・・・・・」という話だけが出て、それを否定する硬派の論調がないんですね。だから、せめて僕くらいはと思って「死んだらどうなるか」を書いたんです。

 この文章は、僕としてはすごく妥協している文章です。僕は「無神論の牧師」なんです。なぜ牧師なんて言うかというと、宗教を信じている人と議論すると、「私が負けても、牧師さんを連れてくれば勝つ」なんて言い張ったりする人がいるんです。だから僕が牧師なら僕が勝つんです。

 でも今の学校教育で≪霊≫を扱うとすればこの文章くらいの線で妥協すればよかろうということです。

 「科学の世界では死んだら何も残らなくても、宗教の世界では、多くの人びとの霊は生き続けるといってもいいのです」なんて書いてあるけれど、僕個人は宗教を全然認めませんから、僕自身はそんなこと言っちゃいけないんです。ただ、公教育で喧嘩しなくてすむとすれば、宗教を全面的に否定するわけにはいかないんですよ。今の公教育ではね。

 思想信条の自由があって、宗教を信じる自由があると言っても、進化論を否定したり原子の存在を否定したら問題です。「私は宗教を信じているから進化論を教えては困る」という親がいても、「それはあんたが異常なの。進化論は科学の世界だからちゃんとしているの。」と言うことです。それから「原子ですべてできている。霊なんかは存在しない」ということも教えなくてはいけないんです。そういうことについては、科学は妥協してはいけない。

 科学関係の人が「そこまでいっては出過ぎたまねになるんじゃないか」と遠慮しているんだけれど、霊を取り上げるときに、「霊は実在する」というふうに「自然科学的な実在」として言うならば、これは科学教育に反する。≪宗教の出過ぎたまねなんです≫

 「死んだらどうなるか」では、≪霊≫というものを≪人の思い≫に置き換えたんです。妥協して、「人の心に残る≪宝≫は認めるから、そのかわり、宗教は自然科学の領域に踏み込むな」というのが、この文章の構造です。こういうことを書くのは僕くらいしかいないみたいですね。

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 コメント

 板倉氏の作った標語に、「理想を掲げて、妥協する」という言葉があります。若いころ、理想を掲げて、とんがっていた私に、この標語はとても役立つものでした。
 だから、多くの葬式には、その習わしにそっておこなっています。しかし、せめて、自分の葬式は、自分の理想に近いものをと思っています。

 原子論は世界の常識になりつつありますが、進化論は、アメリカ中部では、未だに否定する人たちがいるということが驚きです。




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